バンコク滞在で8年の変化を感じて。

「今回のバンコク滞在は、どうだった?」

なんて聞かれたら、たぶん

「なんだか気持ちが良かったよ」

と答えると思う。

それは、少し違う世界に触れながら働くことが出来たし、
旅のスタイルが少しずつ変化しているなと感じたからでもある。

たったの一週間だがバンコクで仕事を終え、
何事もなかったかのように、バリへと向かっている。

2007年。
僕が学生の頃、初めてバックパッカーとしていったのが
バンコクだった。

全てが新鮮に感じられて
なんでも驚いていた。

知らない通貨を握りしめて
知らない言語で話しかけられて
知らない人と一緒にご飯をたべて。

カオサンロードのあの賑わいの中にいる自分
に少し酔いながら、旅を楽しんでいた。

あれから、バンコクには5回くらい
来ているのだけれども、今回初めて
カオサンのエリアに行かなかった。

今回の旅では、重要なシンボルではなくなったのだ。

プロンポン駅というバンコクの中心街。
もちろん汚い場所もたくさんあるけれども、
住みやすい場所だった。

朝8時頃起きてプールに行って
仕事を始める。

いつも日本でやっている習慣だが、
屋外にあるプールはすこし荒々しく
朝はバンコクと言えども少し寒い。

バイタクに20バーツほど払って
コワーキングスペースに移動する。

本当に静かな場所だった。
まるで「快適さ」だけを追求して、
他のものが失われたかのような。

夜。今回は、バンコクに住んでいる人に会って
海外で働くことを少し身近にしてみたい
というのがぼんやりとした目的だった。

直接の知り合いはぜんぜんいなかったんだけれども、
facebook経由で、沢山の人を紹介してもらい
毎晩知らない人のカフェやバーに行って
飲み会を開催した。

最終日は、10人近くの現地滞在の人が
集まっておお盛り上がりになったくらいだ。

いつも通り、僕はウコンを飲みながらも
ちゃんと酔って、記憶はぼんやりしているんだけれども、
バンコクに来ている人というのは
覚悟なのか、挑戦心がある人が多くて
余計にビールが進んだ。

3月にバンコクでイベントがある。
今回会った人たちと何が一緒に出来たらみたいなことを
考えながらバンコクを後にする。

旅の楽しさはなにか。と聞かれたら

思いもよらない新しい出会いがあって
そして何かが始まるワクワクする感じ

たぶん、今はこう答える。

バンコクで出会った人と
紹介してくれた人に
感謝を添えて。

恩田倫孝


働くことはいつだって楽しいということ。

働くことは楽しいことだと思うんだけれども、なんだかわりと多くの人が「仕事=楽しくないもの」と言っているような気がしていて、こうして文字にして書こうかなと思っている。特に受験勉強が好きだった人は「おお!そういうこと?」ってなれば嬉しいなあ。
 

もしかしたら、何かを少し勘違いしていてネガティブなサイクルに入ってるだけで、みんながポジティブなサイクルにとーんと入れたら、もっと楽しい世の中になるんじゃないか、と思う。週7で働けて幸せ!なんて書くと、スーパーブラック企業みたいに感じるけれども、でもたぶんそうじゃない。Work as lifeなんて言葉もあるけれども、生きることと働くことはほとんど重なる。
 

働くことってなんだろう。
なんで働いているんだろう。
 

別に無人島にいって魚を釣って生きていてもいいじゃないか。星の数を数えていたっていいかもしれない。でも、働くことってなんだろうと考えるとたぶん難しくなくて、「誰かのために価値を作って届けること」とこんな感じじゃないかなあと思っている。特別なことを言ってるわけではないくて、すごい身近なことでいえば、家族を喜ばせるとか、彼氏彼女を喜ばせることとあまり変わらないんじゃないかな。

こんな前提がありつつ、楽しくなる要素、つまらなくなる要素はいろいろとあるだろうけれど、楽しくなる要素は、1つなんじゃないかと思っている。

・好奇心を誰かに向けること

たぶんね。

***

少し話を変える。

高校3年生で受験勉強をしているとき、勉強をしていること自体に幸せを感じていた。勉強エクスタシー状態。いろんなことをわかっていくことが楽しくて、もうどのページに何が載ってる覚えちゃえ!年号も円周率も全部覚えちゃ(絶対意味ないけど)なんて感覚。これは、自分が何かアップデートされていく感覚で、ゲームのレベル上げの感覚に近いのかもしれない。勇者、魔法使い、吟遊詩人。できるようになることに楽しさを感じる。

なんて真面目がことを書いたけれど、好きなアーティストの歌詞を全部覚えていくこととも似ているんじゃないかな。好奇心という点では。僕らって何かを知って極めていくことの楽しさをたぶんどこかでは体験してると思う。それは部活であっても同じだと思う。

青チャートという武器をもって使えるのは受験のテストだけだけど、仕事の専門性は、世の中に対して使える。自分も改善できるし、世の中も改善できる。凄いじゃん働くって。青チャートをやって満足するのは自分だけだけど、仕事は自分以外の誰かを満足させることができる。「世の中」とか「社会」って書くとすごくもやっとしてしまうので、「誰か」と書いた方がイメージしやすいんじゃないかな。

・働くことは、誰かにプレゼントを贈ること。

働くことは、こんな行動に似ていると思う。どんなプレゼントをあげればいいのか分からないことがたくさんあって、それを探求していく。相手について調べる。そして、プレゼントの中身を作り上げる。もちろん、相手が嫌な顔をすることも、受けとって貰えないこともある。小さい成功もある。ただ、この改善/探求をすることは、受験勉強となんら変わらない。自己満をさせる要素に他人が加わっただけ。自他満が究極の自己満ということを誰かが言っていたけれども、そうだと思う。誰かをどうやって楽しませるんだっけ?喜んでもらえるんだっけ?と考えていくこと。こういう学問だと思えば楽しくなると思うんです。

「好奇心を誰かに向けること」

これが仕事を楽しむ要素だと僕は思うのです。

学ぶことはいつだって楽しい。


【好きなアーティストを好きと言えなくなって】一青窈から学んだこと

「カラオケのデンモクに曲をいれるのがとにかく嫌だった」

べつに、僕は音楽にとくべつ詳しいわけでもないし、音楽がなくてはいけていけないなんていう人生でもない。どちらかといえば音楽は好きな方かもしれないけれど、音痴だし、リズム感もない。

上京してたての頃、大学の友達とカラオケにいくようになったのだけども、僕は大好きな一青窈を入れていた。ただ、だんだんとカラオケの雰囲気ではなにか違うなあということを感じていた。ここの雰囲気というのは、もっとみんなで盛り上がれる曲だったのだ。カラオケで「次、何入れる?」と聞かれるのが次第に怖くなって、デンモクをすぐ誰かに渡すようになった。

そして、いつも聞いていた「一青窈」をだんだんと聞くことをやめてしまった。周りに合わせなければ、大学の生活を楽しめない。

これは、一青窈を通じた僕の日記のようなものである。

***

「ええいああ、君からもらい泣き」

裸足で歌うアーティスト、一青窈。

名字も、名前も珍しい。

2002年10月。1stシングルのもらい泣きが発売された。当時、携帯はまだガラケーを使っていて、着メロでたくさんの「もらい泣き」をダウンロードした。8音、16音、32音、オルゴールver、着うたetc.とにかくいろんな曲がほしかった。

この時代といえば、大塚愛が人気で、男子はだいたいイナゴライダーや19を聞いていた。そんな中、僕は一青窈にはまった。不思議な歌詞。独特な世界観。顔をすこししかめながら歌う孤独感。インタビューを受けている雑誌の切り抜き、テレビ番組の全ての録画をして、wikipediaのプロフィールをよく眺めた。周りに一青窈が好きなひとがあまりいなかったから、魅力をみんなに知ってほしくて、勝手に友達に一青窈通信をおくりまくった。(6年にも渡り80弾近くまで送信したのは、苦い思い出というか、狂気)たぶん、中学・高校の音楽のほとんどを一青窈で過ごしたように思う。

好きな力はとても大きくて、一青窈が尊敬している作家、アーティストも好きになった。詩に興味を持ったし、海外にも行くようになったし、同じ大学にも入った。

***

大学から僕は上京した。新潟から、東京へ。受験勉強と部活しかしてこなかった僕にとって、サークル活動はとにかく楽しかった。そして、サークルのみんなとよくカラオケにいった。でも、僕はみんなが聴くような音楽をほとんど知らなかったし、もちろん歌えなかった。「君をのせて」「あの素晴らしい愛をもう一度」とかを歌うすきもなかった(たぶん、今でもないと思うけれど)とにかく「天体観測」が正義で、「小さな恋の歌」を歌えば盛り上がるのだ。

この頃から、一青窈がどんどん離れていった。中学、高校の頃にほとんど考えてたことがなった「周りに合わせる」ということを少しずつ覚えた。家に友達をよんで鍋パをする時も、「もらい泣き」は流さずに、エミネム、NE-YOをかけた。(今でも全く詳しくない)

ただ、なんとなく、なんとなく、自分の中から何かが消えていくように思えた。世の中に合わせた自分。誰かに合わせた自分。当時、mixiで大真面目に「who am I 」なんて日記を書いたくらいに、自分が分からなくなった。それが、一青窈を聞かなくなったこととどれだけ関係があるかは謎なのだけれども。

***

社会人になって、また一青窈を聞くようになった。自分の好きなことは大切にしないと、どんどん消えてしまう。誰かに合わせる必要なんてないんだって。カラオケにも、あまり行かない。

今はどんなアーティストが好きなのって聞かれると「一青窈かな」って答える。でも誰かに強くオススメをする訳でもなく、数あるプレイリストの1つとして静かに聞くのだ。

じぶんが好きなように生きればいいんだって。一青窈を聞いていると、そんなことを思い出す。

16年前の僕へ。

今年、自分が主催するフェスに一青窈さんがきてくれることになりました。当時では、もちろん想像も出来ないと思います。好きがこうして、未来でつながることって本当に嬉しいね。自分の好きを大切に。

終わり。


人はいつだって迷うし、旅にでるのだ。

人はいつだって、迷う。

それは、なんども、なんども。

このままでいいんだろうかという漠然とした不安。

なにがやりたいのか分かないという止まらぬ葛藤。

別に、迷うことが悪いわけではない。

それは、生きる上で必要なことだと思う。

ただ、何かの変化が起きるきっかけを僕は一つだけ知っている。

「旅にでること」

*****

「旅」という存在を知ったのは、たぶん大学のころだったと思う。新潟出身の僕は、まわりに旅をしている人もいなかったし、旅に出ようと思ったことも無かった。

大学に入学してしばらくすると、大学生活に慣れてしまった。きつい言葉を使うのならば、大学に飽きてしまったというのが正しいのかもしれない。講義を受けて、サークルに行って、バイトをしてという毎日に。

そんな生活を変えたかった。でも、どうしたらいいのか分からず、僕はぼおっと空を眺めていた。

ある日、友人に1冊の本をススメられた。それは、いわゆる旅行記と言われるもので、著者が見た世界や色々な感情が日記口調で描かれていた。こんな世界を僕も見てみたい。夜、興奮して眠ることが出来なかった。

間もなくして僕は、旅に出た。大きなバックパックを背負って。

世の中には、初めてみる民族がいて、通じない言葉があって、熱狂的なカーニバルで太鼓を叩いていて、時には美味しくない料理もあった。世の中は楽しかったし、怖かったし、美しかった。

僕の知らない世界がそこにはあった。

*****

人はいつだって、迷う。

それは、なんども、なんども。


恥ずかしさを、だれかと分かちあって

自分の中には、なんだか恥ずかしいけど好きなことってあると思う。誰かに言いたいんだけれど、なんとなく恥ずかしいもの。僕はそっと数えてみてもいくつかある。

でも、誰かにふと話してみるのも案外いい。

「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」

なんていうことわざがあるが、これになんとなく似ている気がする。そして、分かってくれる人がいることは、なんと嬉しいことか。きっと誰かは分かってくれる。きっと誰かは。

1人で楽しむよりも、誰かと楽しんだ方がそれはいいのだ。

※※※※

高校のころ、数学と物理がとても好きだった。

勉強をすることはあまり嫌いではなかったのだが、この2つの教科は特に大好きで、数学の問題1つだけを1日中考えていても、別に苦にはならなかった。

「数学はエレガントに解くものだ」

この大好きなフレーズは、ある予備校の森先生からの受け入りなのだが、彼の授業を受けることに、当時の僕はこれ以上ないほどに幸せを感じ、いつも興奮していた。

そして、受験が終わり大学に入ると、なぜだか数学と物理への熱意はすっと冷めてしまった。それは僕が単純に「受験勉強」というものだけが大好きで、それ以上の才能は無かったのかもしれない。

しばらくつまらない時間だけがとーん、とーんと進んでいったのだが、僕はいつのまにか「小説」にはまっていた。ほんとうはこんな原体験があって小説にはまった、なんていうかっこいいエピソードを挟んでみたかったのだが、なにか大きなきっかけがあった訳ではない。

ただ最初に小説を読んでいるとき、葛藤があったのは覚えている。この文章を読むことで、将来なんの役にたつのだろう、と。

外資だ、起業だ、プログラミングだなんていう人が周りに多くて、みんな本と言えばマーケティングとかMBAや自己啓発なんていう難しそうな本を読んでいる人ばかりだった。

なんだかんだロジカル、というもので将来を考えると、どうしても小説を読むということは、選択肢に入らなそうだったのだが、みんながプログラミングの勉強をしている傍ら、僕は小説を持って旅に出た。



小説の物語というもの以上に、僕は文字の美しさに心を奪われた。それは、リズムの美しさだったり、雰囲気だったり。そして、美しい文章を読んでは、音読して真似て書くようになった。

でも、大学に戻って「ねえ、小説とかポエム好き?」なんて聞いてもみんな「え?ポエム?」なんて少し笑いながら僕をみた。

理工学部にいたから、みんなからしたらプログラミングをどうエレガントに書くかとういうことが大切なのに、今日は月がきれいだねなんて言う僕は浮いていたのだと思う。

理解されない、というのは悲しいものでいつしか詩的/ポエミーな文章が好きなのだということを僕はあまり言わなくなった。たぶん、恥ずかしさのようなものを感じていたのだろう。

そして、しばらく時がたつ。

旅に出て、自分を知らぬ人と会っていると、自分というものを全てさらけ出すことになんの抵抗もなくなった。

全てなんて理解されなくてもいい。少しだけでも共感があればそれは嬉しい。いつの頃からか、詩的な文章が好きだよ、という人に少しずつめぐりあえるようになった。

共感をしてくれる人は、もしかしたら少ないのかもしれない。でも、少しはいるのだと思う。そして、その小さな波紋は、気づかぬうちにゆっくりゆっくりと広がっていく。


「ねえ、なんとなく泣きたい時、何をしたらいい?」

気づいたら、僕はこんな文章をメッセンジャーに打ちこんでいた。

誰が分かってくれるかなんて、もちろん分からないのだけれども。


どこにいても、きっとうまくいくのだ【インド・ラダック】

方向音痴の僕は、よく道に迷う。

それも、ひんぱんに。

でも、迷ったときに心に決めている決まりごとがある。

だいじょうぶ。だいじょうぶ。きっとうまくいく。

何が大丈夫なのかなんて、もちろん分からないのだけれども。

All izz well.

こまった時には、いつもこういうのだ。


※※※※※※


2017年9月。僕は、インド北部の『ラダック』へ行った。

旅をすることは好きなのだけれども、インドにはどうしても行こうという気持ちにならなかった。それは、ごちゃごちゃしているような感じで、なんとなく汚そうな印象があったからだ。

インドに行けば人生が変わるよ、なんて学生の頃はよく聞いていたのだが、人生が変わるほどの場所なんてそんなに無いだろうし、いつも話半分で適当にうんうんと聞いていた。

インドはどんな国?という質問はたぶん意味があまりなくて、くりかえしインドに取り憑かれたかのように行く人もいるし、拒否をして直ぐにかえって来てしまう人もいるし、世界の色々なものをデタラメにごちゃまぜにした感じの場所なのだと思う。

北部の『ラダック』は、チベット仏教の文化が残っている落ち着いた場所だというのは聞いていた。そして、どういうわけか僕はこの場所にひかれていた。大いなる魂を感じたサンチャゴの声を聞いたのかもしれない。

2017年の新年の目標に「ラダックにいく」という事をきめていた。もちろんその場のいきおいで決めたというのもある。でも、なんども「ラダックにいく」と言っていると、ふしぎと大切な事のように感じ、ずっと記憶のかたすみに大切に保存されていた。

話は少しさかのぼる。
2014年。ぼくは、比較的長い旅にでた。そして、比較的長い間歩いた。それは時間的にも物理的も。でも、その旅を終えてからというもの、海外へ行きたいという強い感情は、なかなか湧き上がってこなかった。

帰国したあとに、なんだか日本はいい国だなあという事を感じた事もあるし、ここには僕の好きなコミュニティがあったからかもしれない。そして、少しずつ生きることと働くことが上手につながってきた感覚もある。

でも、旅に行きたくなるというのは、そんなこと全てを忘れてなにか別の世界で生きてみたいと思う時なのだ。2014年から3年という時間を経て、その衝動はやってきたのだ。久しぶりの一人旅だった。

浅草の家から、羽田まで一本。どんどん空港が近づいてくると、なんだかそわそわしてきた。

旅の世界は、多分別の時間軸があるのだと思うけれど、なかなかその世界があらわれて来ない。僕はまだ、何かの準備がたりていないのかと不安に思いながらも、飛行機にのりこんだ。

羽田から中国を経由して、ニューデリーへと行く。そして、乗り継いでレーという空港に降り立った。標高は3,000メートル。高山病対策の薬を飲んでいたので、指先がぴりぴりと痛む。

空港から出た時の空気は、いつも吸っている空気はちょっと違って「海外の味」がした。

空はこれ以上ないほどに綺麗に晴れていて、周りは大きな山で囲われていた。今の時代だから、こうやって飛行機でかんたんに来れてしまうのだけれども、昔はどうやって来たのだろう、と思う程に大きく、きれいな山がそびえ立っている。

ぐるぐると周りを見渡していると、僕は確実に日本ではないどこかにいた。目の前には、知らない人が立っている。それは、日本でも同じなのだけれども。

しばらく歩く。

気温は暑い。

どこまでも続く道と高い山を見ていると、僕は急にだれかに押されて、とん、と向こうの世界に入った。それは、なんのお告げもなく急にきた。

現地についてから、やや遅れて僕の「旅の世界」はやってきた。久しぶりに感じる、この静かだけれどもわくわくした感覚。元気してた?なんて言いながら、僕はふたたび歩きだした。

山の上には「ゴンパ」と呼ばれる僧院があって、子どもたちが勉強をしている。街のいたる所に、マントラが刻まれているマニ車と呼ばれる、チベット仏教の大きな仏器がある。ラダックの街の一部はとてもカラフルで、お昼をすぎると多くの人が野菜を売るマーケットに変わる。この雰囲気は、中米でも見たことのあるような気がした。

世界中はもちろんどこか違うし、でも似ていると感じることがある。国境なんて、人間によって勝手にひかれたものだから、一歩境の外に出たとしても何かが急に変わるわけではない。ただ、すこしずつ変わっていく。

ときどき、この遠い土地同士がなにかつながっていたのかもしれないという事を感じると、歴史を振り返るのだ。それは、いいことも悪いことも教えてくれる。


ラダックは、とにかく気持ちが落ち着く場所だった。

日本語が書かれた旅行代理店に入ると、現地の人がいろいろと教えてくれた。(※でも一切日本語は話せない)

キレイな湖「パンゴンツォ」がとてもオススメなのだけれども、標高が4,000メートル近くなので街ですこし体を慣らす必要があると聞いた。なので、少しこの街を楽しんで行けと。そして、なぜかアプリコットの実をたくさん貰った。

後日、ぼくはスクーターを借りて、山の上の大きな「ゴンパ/僧院」へとむかった。5,6時間で着く距離のようだ。街中で聞いた話しなのだが、どうやら泊まれる場所があるらしい。途中、きれな景色をみて、ピクニックをして山の上までのぼった。山の上の方は、道とはいえないような砂利道だったが、移動はとても気持ちよかった。キレイな夕日が沈みかけたころ、僕は山頂へ到着した。

2人の赤い袈裟をきた僧侶が歩いていたので、話しかける。

「こんばんは。今日、こちらに泊まりたいんだけど大丈夫でしょうか」

2人の僧侶は、少し戸惑った顔をして答えた。

「残念なんだけれども、今日は宿泊の施設が空いていないんだ」

僕は、すこしの間言葉を失ったが、彼らがそういうならば僕には泊まる場所がここにはないのだ。かなりの長い時間移動してきたのが、そんな事を言っても意味はないのだ。

「ありがとうございます」

そう言って、陽が沈むのをみながら、僕は山を下り始めた。急いでスクーターを飛ばしたとしても、下りきる前には陽が沈むことは明らかだった。

暗闇の中、どこか分からないラダックの地を走るのは少し不安だった。ただ、ライトで照らされる道をじっと見つめながら、進んだ。

そして、僕はふと空を見上げた。


きれいな星空が広がっていた。

もうどこに泊まれるかも分からないし、どんな場所にいるのかも分からない僕はスクーターから降りてしばらく空を眺めることにした。

じっと見ていると、星の光がとぎれとぎれに僕の目に入ってくる。多くの流れ星が空を走り、高い山はこんな暗闇の中でも存在を確認できる。

きっとうまく。

インド映画「3 idiots/きっとうまくいく」の主題歌のAll izz wellを歌いながら、空を眺める。なんだか、勝手に幸せな気分を感じていた。

その後、停電をしている村で交渉をしたり、アブリル・ラビーンが流れるバーでお店の人に交渉しても中々泊まれる場所はなかったのだけれども、小さな村でやっと泊まれる家を発見した。

おじいちゃんから、可愛い孫までいるキレイで優しい家だった。

小さなマニ車をおじいちゃんはくるくると回しながら笑顔で迎えてくれた。テレビには、「ドラえもん」がチベット語で流れていた。つたない英語を話す優しいお母さんから、美味しいご飯をごちそうになり、しばらくして用意された寝室に戻った。

横になって、目を閉じる。色々な事があったけれど、最高の1日だったじゃないか。ポケットに手をいれると、どこかで貰ったアプリコットの実があった。

All izz well


鳥の囀り

時は生き物ではなく、
ただ存在するものだと最近は思う。

ただ、お前に知られずとも、
ここに存在する事を証明するために
向こうの見えぬ地へと足を動かす

時に喜び
時に悲しみ
不確かな意味を噛み締め
多くと出会い
同じ数だけの別れに涙す
これが生きるという事だ

月が海に溶けゆく時
周りに慈愛が満ち溢れる

静まり返った世界に
1匹の鳥の囀りで、
今年が終わり、
そして、来年が始まる。


悲しき君は、手のひらから零れ落ちて。

ここにある綺麗な世界を離れ
向こうの地獄を理想郷と讃え
そこに向かう姿勢を見せる
悲しき君。
 
彼方にある陽炎の揺らめき見つめ
頬に涙を伝わせながら走りつつ
消えゆく音の寒さに包まれる
悲しき君。
 
いつから、君はここを離れ
いつから、君は心を閉ざし
君は、君を捨てたのか。
 
自分を支える我が抜かれ
君は消えるようにして
地球の手のひらから零れ落ちてしまった。
 
ただ、地球はくるくるとまわり続ける。


「旅の始まり、旅の終わり」

旅には、始まりがありまして。

どんな旅をすればいいのか、分からなくなって、
僕は君に助けを求める。

人の目なんて気にする必要なんてないのだし、
自分が思うがままに、好きに歩けばいいさ、と
君は、さらっと言うのだけれども、

せっかく旅に出るのだから、一生モノの旅にしたいと

強く意気込み、時期をたらたら先延ばしする。

旅に出る事は、こんなにも悩むものなのか
旅に出る事は、こんなにも理解されぬのか

僕が思う旅は、もっともっと自由で
極楽鳥が舞うようなものだと、想像していた。

ただ、いくら考えても何も始まらないから、とりあえず始めてみた。

旅は突然に始まる訳です。

これが、旅の始まりで御座います。

そして、旅には終わりがありまして。

僕は、砂漠を歩き続けた。

そうして、1年が経ち、2年が経った。

今では、もうどれほどの時が経ったか、分からない。

終わりが見えぬ事が怖くなって、
終わりを見つけようとするのだけれど、

どこでどうやって終止符を打てばいいのか、分かりませぬ。
誰かおしえておくれ。

ああ。君には、声はもう届かぬか。

僕は、このまま旅の世界に閉じ込められるのか。
それとも、こちらの世界に出口を見つけられるのか。
旅の終え方が分からぬ人は、一生旅を彷徨う。

とんとんとん。

そして僕は、彼と決別する。

朝目覚めると、君と出会う。

「旅の始まり、旅の終わり」