働くことはいつだって楽しいということ。

働くことは楽しいことだと思うんだけれども、なんだかわりと多くの人が「仕事=楽しくないもの」と言っているような気がしていて、こうして文字にして書こうかなと思っている。特に受験勉強が好きだった人は「おお!そういうこと?」ってなれば嬉しいなあ。
 

もしかしたら、何かを少し勘違いしていてネガティブなサイクルに入ってるだけで、みんながポジティブなサイクルにとーんと入れたら、もっと楽しい世の中になるんじゃないか、と思う。週7で働けて幸せ!なんて書くと、スーパーブラック企業みたいに感じるけれども、でもたぶんそうじゃない。Work as lifeなんて言葉もあるけれども、生きることと働くことはほとんど重なる。
 

働くことってなんだろう。
なんで働いているんだろう。
 

別に無人島にいって魚を釣って生きていてもいいじゃないか。星の数を数えていたっていいかもしれない。でも、働くことってなんだろうと考えるとたぶん難しくなくて、「誰かのために価値を作って届けること」とこんな感じじゃないかなあと思っている。特別なことを言ってるわけではないくて、すごい身近なことでいえば、家族を喜ばせるとか、彼氏彼女を喜ばせることとあまり変わらないんじゃないかな。

こんな前提がありつつ、楽しくなる要素、つまらなくなる要素はいろいろとあるだろうけれど、楽しくなる要素は、1つなんじゃないかと思っている。

・好奇心を誰かに向けること

たぶんね。

***

少し話を変える。

高校3年生で受験勉強をしているとき、勉強をしていること自体に幸せを感じていた。勉強エクスタシー状態。いろんなことをわかっていくことが楽しくて、もうどのページに何が載ってる覚えちゃえ!年号も円周率も全部覚えちゃ(絶対意味ないけど)なんて感覚。これは、自分が何かアップデートされていく感覚で、ゲームのレベル上げの感覚に近いのかもしれない。勇者、魔法使い、吟遊詩人。できるようになることに楽しさを感じる。

なんて真面目がことを書いたけれど、好きなアーティストの歌詞を全部覚えていくこととも似ているんじゃないかな。好奇心という点では。僕らって何かを知って極めていくことの楽しさをたぶんどこかでは体験してると思う。それは部活であっても同じだと思う。

青チャートという武器をもって使えるのは受験のテストだけだけど、仕事の専門性は、世の中に対して使える。自分も改善できるし、世の中も改善できる。凄いじゃん働くって。青チャートをやって満足するのは自分だけだけど、仕事は自分以外の誰かを満足させることができる。「世の中」とか「社会」って書くとすごくもやっとしてしまうので、「誰か」と書いた方がイメージしやすいんじゃないかな。

・働くことは、誰かにプレゼントを贈ること。

働くことは、こんな行動に似ていると思う。どんなプレゼントをあげればいいのか分からないことがたくさんあって、それを探求していく。相手について調べる。そして、プレゼントの中身を作り上げる。もちろん、相手が嫌な顔をすることも、受けとって貰えないこともある。小さい成功もある。ただ、この改善/探求をすることは、受験勉強となんら変わらない。自己満をさせる要素に他人が加わっただけ。自他満が究極の自己満ということを誰かが言っていたけれども、そうだと思う。誰かをどうやって楽しませるんだっけ?喜んでもらえるんだっけ?と考えていくこと。こういう学問だと思えば楽しくなると思うんです。

「好奇心を誰かに向けること」

これが仕事を楽しむ要素だと僕は思うのです。

学ぶことはいつだって楽しい。


【好きなアーティストを好きと言えなくなって】一青窈から学んだこと

「カラオケのデンモクに曲をいれるのがとにかく嫌だった」

べつに、僕は音楽にとくべつ詳しいわけでもないし、音楽がなくてはいけていけないなんていう人生でもない。どちらかといえば音楽は好きな方かもしれないけれど、音痴だし、リズム感もない。

上京してたての頃、大学の友達とカラオケにいくようになったのだけども、僕は大好きな一青窈を入れていた。ただ、だんだんとカラオケの雰囲気ではなにか違うなあということを感じていた。ここの雰囲気というのは、もっとみんなで盛り上がれる曲だったのだ。カラオケで「次、何入れる?」と聞かれるのが次第に怖くなって、デンモクをすぐ誰かに渡すようになった。

そして、いつも聞いていた「一青窈」をだんだんと聞くことをやめてしまった。周りに合わせなければ、大学の生活を楽しめない。

これは、一青窈を通じた僕の日記のようなものである。

***

「ええいああ、君からもらい泣き」

裸足で歌うアーティスト、一青窈。

名字も、名前も珍しい。

2002年10月。1stシングルのもらい泣きが発売された。当時、携帯はまだガラケーを使っていて、着メロでたくさんの「もらい泣き」をダウンロードした。8音、16音、32音、オルゴールver、着うたetc.とにかくいろんな曲がほしかった。

この時代といえば、大塚愛が人気で、男子はだいたいイナゴライダーや19を聞いていた。そんな中、僕は一青窈にはまった。不思議な歌詞。独特な世界観。顔をすこししかめながら歌う孤独感。インタビューを受けている雑誌の切り抜き、テレビ番組の全ての録画をして、wikipediaのプロフィールをよく眺めた。周りに一青窈が好きなひとがあまりいなかったから、魅力をみんなに知ってほしくて、勝手に友達に一青窈通信をおくりまくった。(6年にも渡り80弾近くまで送信したのは、苦い思い出というか、狂気)たぶん、中学・高校の音楽のほとんどを一青窈で過ごしたように思う。

好きな力はとても大きくて、一青窈が尊敬している作家、アーティストも好きになった。詩に興味を持ったし、海外にも行くようになったし、同じ大学にも入った。

***

大学から僕は上京した。新潟から、東京へ。受験勉強と部活しかしてこなかった僕にとって、サークル活動はとにかく楽しかった。そして、サークルのみんなとよくカラオケにいった。でも、僕はみんなが聴くような音楽をほとんど知らなかったし、もちろん歌えなかった。「君をのせて」「あの素晴らしい愛をもう一度」とかを歌うすきもなかった(たぶん、今でもないと思うけれど)とにかく「天体観測」が正義で、「小さな恋の歌」を歌えば盛り上がるのだ。

この頃から、一青窈がどんどん離れていった。中学、高校の頃にほとんど考えてたことがなった「周りに合わせる」ということを少しずつ覚えた。家に友達をよんで鍋パをする時も、「もらい泣き」は流さずに、エミネム、NE-YOをかけた。(今でも全く詳しくない)

ただ、なんとなく、なんとなく、自分の中から何かが消えていくように思えた。世の中に合わせた自分。誰かに合わせた自分。当時、mixiで大真面目に「who am I 」なんて日記を書いたくらいに、自分が分からなくなった。それが、一青窈を聞かなくなったこととどれだけ関係があるかは謎なのだけれども。

***

社会人になって、また一青窈を聞くようになった。自分の好きなことは大切にしないと、どんどん消えてしまう。誰かに合わせる必要なんてないんだって。カラオケにも、あまり行かない。

今はどんなアーティストが好きなのって聞かれると「一青窈かな」って答える。でも誰かに強くオススメをする訳でもなく、数あるプレイリストの1つとして静かに聞くのだ。

じぶんが好きなように生きればいいんだって。一青窈を聞いていると、そんなことを思い出す。

16年前の僕へ。

今年、自分が主催するフェスに一青窈さんがきてくれることになりました。当時では、もちろん想像も出来ないと思います。好きがこうして、未来でつながることって本当に嬉しいね。自分の好きを大切に。

終わり。


人はいつだって迷うし、旅にでるのだ。

人はいつだって、迷う。

それは、なんども、なんども。

このままでいいんだろうかという漠然とした不安。

なにがやりたいのか分かないという止まらぬ葛藤。

別に、迷うことが悪いわけではない。

それは、生きる上で必要なことだと思う。

ただ、何かの変化が起きるきっかけを僕は一つだけ知っている。

「旅にでること」

*****

「旅」という存在を知ったのは、たぶん大学のころだったと思う。新潟出身の僕は、まわりに旅をしている人もいなかったし、旅に出ようと思ったことも無かった。

大学に入学してしばらくすると、大学生活に慣れてしまった。きつい言葉を使うのならば、大学に飽きてしまったというのが正しいのかもしれない。講義を受けて、サークルに行って、バイトをしてという毎日に。

そんな生活を変えたかった。でも、どうしたらいいのか分からず、僕はぼおっと空を眺めていた。

ある日、友人に1冊の本をススメられた。それは、いわゆる旅行記と言われるもので、著者が見た世界や色々な感情が日記口調で描かれていた。こんな世界を僕も見てみたい。夜、興奮して眠ることが出来なかった。

間もなくして僕は、旅に出た。大きなバックパックを背負って。

世の中には、初めてみる民族がいて、通じない言葉があって、熱狂的なカーニバルで太鼓を叩いていて、時には美味しくない料理もあった。世の中は楽しかったし、怖かったし、美しかった。

僕の知らない世界がそこにはあった。

*****

人はいつだって、迷う。

それは、なんども、なんども。


恥ずかしさを、だれかと分かちあって

自分の中には、なんだか恥ずかしいけど好きなことってあると思う。誰かに言いたいんだけれど、なんとなく恥ずかしいもの。僕はそっと数えてみてもいくつかある。

でも、誰かにふと話してみるのも案外いい。

「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」

なんていうことわざがあるが、これになんとなく似ている気がする。そして、分かってくれる人がいることは、なんと嬉しいことか。きっと誰かは分かってくれる。きっと誰かは。

1人で楽しむよりも、誰かと楽しんだ方がそれはいいのだ。

※※※※

高校のころ、数学と物理がとても好きだった。

勉強をすることはあまり嫌いではなかったのだが、この2つの教科は特に大好きで、数学の問題1つだけを1日中考えていても、別に苦にはならなかった。

「数学はエレガントに解くものだ」

この大好きなフレーズは、ある予備校の森先生からの受け入りなのだが、彼の授業を受けることに、当時の僕はこれ以上ないほどに幸せを感じ、いつも興奮していた。

そして、受験が終わり大学に入ると、なぜだか数学と物理への熱意はすっと冷めてしまった。それは僕が単純に「受験勉強」というものだけが大好きで、それ以上の才能は無かったのかもしれない。

しばらくつまらない時間だけがとーん、とーんと進んでいったのだが、僕はいつのまにか「小説」にはまっていた。ほんとうはこんな原体験があって小説にはまった、なんていうかっこいいエピソードを挟んでみたかったのだが、なにか大きなきっかけがあった訳ではない。

ただ最初に小説を読んでいるとき、葛藤があったのは覚えている。この文章を読むことで、将来なんの役にたつのだろう、と。

外資だ、起業だ、プログラミングだなんていう人が周りに多くて、みんな本と言えばマーケティングとかMBAや自己啓発なんていう難しそうな本を読んでいる人ばかりだった。

なんだかんだロジカル、というもので将来を考えると、どうしても小説を読むということは、選択肢に入らなそうだったのだが、みんながプログラミングの勉強をしている傍ら、僕は小説を持って旅に出た。



小説の物語というもの以上に、僕は文字の美しさに心を奪われた。それは、リズムの美しさだったり、雰囲気だったり。そして、美しい文章を読んでは、音読して真似て書くようになった。

でも、大学に戻って「ねえ、小説とかポエム好き?」なんて聞いてもみんな「え?ポエム?」なんて少し笑いながら僕をみた。

理工学部にいたから、みんなからしたらプログラミングをどうエレガントに書くかとういうことが大切なのに、今日は月がきれいだねなんて言う僕は浮いていたのだと思う。

理解されない、というのは悲しいものでいつしか詩的/ポエミーな文章が好きなのだということを僕はあまり言わなくなった。たぶん、恥ずかしさのようなものを感じていたのだろう。

そして、しばらく時がたつ。

旅に出て、自分を知らぬ人と会っていると、自分というものを全てさらけ出すことになんの抵抗もなくなった。

全てなんて理解されなくてもいい。少しだけでも共感があればそれは嬉しい。いつの頃からか、詩的な文章が好きだよ、という人に少しずつめぐりあえるようになった。

共感をしてくれる人は、もしかしたら少ないのかもしれない。でも、少しはいるのだと思う。そして、その小さな波紋は、気づかぬうちにゆっくりゆっくりと広がっていく。


「ねえ、なんとなく泣きたい時、何をしたらいい?」

気づいたら、僕はこんな文章をメッセンジャーに打ちこんでいた。

誰が分かってくれるかなんて、もちろん分からないのだけれども。


どこにいても、きっとうまくいくのだ【インド・ラダック】

方向音痴の僕は、よく道に迷う。

それも、ひんぱんに。

でも、迷ったときに心に決めている決まりごとがある。

だいじょうぶ。だいじょうぶ。きっとうまくいく。

何が大丈夫なのかなんて、もちろん分からないのだけれども。

All izz well.

こまった時には、いつもこういうのだ。


※※※※※※


2017年9月。僕は、インド北部の『ラダック』へ行った。

旅をすることは好きなのだけれども、インドにはどうしても行こうという気持ちにならなかった。それは、ごちゃごちゃしているような感じで、なんとなく汚そうな印象があったからだ。

インドに行けば人生が変わるよ、なんて学生の頃はよく聞いていたのだが、人生が変わるほどの場所なんてそんなに無いだろうし、いつも話半分で適当にうんうんと聞いていた。

インドはどんな国?という質問はたぶん意味があまりなくて、くりかえしインドに取り憑かれたかのように行く人もいるし、拒否をして直ぐにかえって来てしまう人もいるし、世界の色々なものをデタラメにごちゃまぜにした感じの場所なのだと思う。

北部の『ラダック』は、チベット仏教の文化が残っている落ち着いた場所だというのは聞いていた。そして、どういうわけか僕はこの場所にひかれていた。大いなる魂を感じたサンチャゴの声を聞いたのかもしれない。

2017年の新年の目標に「ラダックにいく」という事をきめていた。もちろんその場のいきおいで決めたというのもある。でも、なんども「ラダックにいく」と言っていると、ふしぎと大切な事のように感じ、ずっと記憶のかたすみに大切に保存されていた。

話は少しさかのぼる。
2014年。ぼくは、比較的長い旅にでた。そして、比較的長い間歩いた。それは時間的にも物理的も。でも、その旅を終えてからというもの、海外へ行きたいという強い感情は、なかなか湧き上がってこなかった。

帰国したあとに、なんだか日本はいい国だなあという事を感じた事もあるし、ここには僕の好きなコミュニティがあったからかもしれない。そして、少しずつ生きることと働くことが上手につながってきた感覚もある。

でも、旅に行きたくなるというのは、そんなこと全てを忘れてなにか別の世界で生きてみたいと思う時なのだ。2014年から3年という時間を経て、その衝動はやってきたのだ。久しぶりの一人旅だった。

浅草の家から、羽田まで一本。どんどん空港が近づいてくると、なんだかそわそわしてきた。

旅の世界は、多分別の時間軸があるのだと思うけれど、なかなかその世界があらわれて来ない。僕はまだ、何かの準備がたりていないのかと不安に思いながらも、飛行機にのりこんだ。

羽田から中国を経由して、ニューデリーへと行く。そして、乗り継いでレーという空港に降り立った。標高は3,000メートル。高山病対策の薬を飲んでいたので、指先がぴりぴりと痛む。

空港から出た時の空気は、いつも吸っている空気はちょっと違って「海外の味」がした。

空はこれ以上ないほどに綺麗に晴れていて、周りは大きな山で囲われていた。今の時代だから、こうやって飛行機でかんたんに来れてしまうのだけれども、昔はどうやって来たのだろう、と思う程に大きく、きれいな山がそびえ立っている。

ぐるぐると周りを見渡していると、僕は確実に日本ではないどこかにいた。目の前には、知らない人が立っている。それは、日本でも同じなのだけれども。

しばらく歩く。

気温は暑い。

どこまでも続く道と高い山を見ていると、僕は急にだれかに押されて、とん、と向こうの世界に入った。それは、なんのお告げもなく急にきた。

現地についてから、やや遅れて僕の「旅の世界」はやってきた。久しぶりに感じる、この静かだけれどもわくわくした感覚。元気してた?なんて言いながら、僕はふたたび歩きだした。

山の上には「ゴンパ」と呼ばれる僧院があって、子どもたちが勉強をしている。街のいたる所に、マントラが刻まれているマニ車と呼ばれる、チベット仏教の大きな仏器がある。ラダックの街の一部はとてもカラフルで、お昼をすぎると多くの人が野菜を売るマーケットに変わる。この雰囲気は、中米でも見たことのあるような気がした。

世界中はもちろんどこか違うし、でも似ていると感じることがある。国境なんて、人間によって勝手にひかれたものだから、一歩境の外に出たとしても何かが急に変わるわけではない。ただ、すこしずつ変わっていく。

ときどき、この遠い土地同士がなにかつながっていたのかもしれないという事を感じると、歴史を振り返るのだ。それは、いいことも悪いことも教えてくれる。


ラダックは、とにかく気持ちが落ち着く場所だった。

日本語が書かれた旅行代理店に入ると、現地の人がいろいろと教えてくれた。(※でも一切日本語は話せない)

キレイな湖「パンゴンツォ」がとてもオススメなのだけれども、標高が4,000メートル近くなので街ですこし体を慣らす必要があると聞いた。なので、少しこの街を楽しんで行けと。そして、なぜかアプリコットの実をたくさん貰った。

後日、ぼくはスクーターを借りて、山の上の大きな「ゴンパ/僧院」へとむかった。5,6時間で着く距離のようだ。街中で聞いた話しなのだが、どうやら泊まれる場所があるらしい。途中、きれな景色をみて、ピクニックをして山の上までのぼった。山の上の方は、道とはいえないような砂利道だったが、移動はとても気持ちよかった。キレイな夕日が沈みかけたころ、僕は山頂へ到着した。

2人の赤い袈裟をきた僧侶が歩いていたので、話しかける。

「こんばんは。今日、こちらに泊まりたいんだけど大丈夫でしょうか」

2人の僧侶は、少し戸惑った顔をして答えた。

「残念なんだけれども、今日は宿泊の施設が空いていないんだ」

僕は、すこしの間言葉を失ったが、彼らがそういうならば僕には泊まる場所がここにはないのだ。かなりの長い時間移動してきたのが、そんな事を言っても意味はないのだ。

「ありがとうございます」

そう言って、陽が沈むのをみながら、僕は山を下り始めた。急いでスクーターを飛ばしたとしても、下りきる前には陽が沈むことは明らかだった。

暗闇の中、どこか分からないラダックの地を走るのは少し不安だった。ただ、ライトで照らされる道をじっと見つめながら、進んだ。

そして、僕はふと空を見上げた。


きれいな星空が広がっていた。

もうどこに泊まれるかも分からないし、どんな場所にいるのかも分からない僕はスクーターから降りてしばらく空を眺めることにした。

じっと見ていると、星の光がとぎれとぎれに僕の目に入ってくる。多くの流れ星が空を走り、高い山はこんな暗闇の中でも存在を確認できる。

きっとうまく。

インド映画「3 idiots/きっとうまくいく」の主題歌のAll izz wellを歌いながら、空を眺める。なんだか、勝手に幸せな気分を感じていた。

その後、停電をしている村で交渉をしたり、アブリル・ラビーンが流れるバーでお店の人に交渉しても中々泊まれる場所はなかったのだけれども、小さな村でやっと泊まれる家を発見した。

おじいちゃんから、可愛い孫までいるキレイで優しい家だった。

小さなマニ車をおじいちゃんはくるくると回しながら笑顔で迎えてくれた。テレビには、「ドラえもん」がチベット語で流れていた。つたない英語を話す優しいお母さんから、美味しいご飯をごちそうになり、しばらくして用意された寝室に戻った。

横になって、目を閉じる。色々な事があったけれど、最高の1日だったじゃないか。ポケットに手をいれると、どこかで貰ったアプリコットの実があった。

All izz well


鳥の囀り

時は生き物ではなく、
ただ存在するものだと最近は思う。

ただ、お前に知られずとも、
ここに存在する事を証明するために
向こうの見えぬ地へと足を動かす

時に喜び
時に悲しみ
不確かな意味を噛み締め
多くと出会い
同じ数だけの別れに涙す
これが生きるという事だ

月が海に溶けゆく時
周りに慈愛が満ち溢れる

静まり返った世界に
1匹の鳥の囀りで、
今年が終わり、
そして、来年が始まる。


悲しき君は、手のひらから零れ落ちて。

ここにある綺麗な世界を離れ
向こうの地獄を理想郷と讃え
そこに向かう姿勢を見せる
悲しき君。
 
彼方にある陽炎の揺らめき見つめ
頬に涙を伝わせながら走りつつ
消えゆく音の寒さに包まれる
悲しき君。
 
いつから、君はここを離れ
いつから、君は心を閉ざし
君は、君を捨てたのか。
 
自分を支える我が抜かれ
君は消えるようにして
地球の手のひらから零れ落ちてしまった。
 
ただ、地球はくるくるとまわり続ける。


「旅の始まり、旅の終わり」

旅には、始まりがありまして。

どんな旅をすればいいのか、分からなくなって、
僕は君に助けを求める。

人の目なんて気にする必要なんてないのだし、
自分が思うがままに、好きに歩けばいいさ、と
君は、さらっと言うのだけれども、

せっかく旅に出るのだから、一生モノの旅にしたいと

強く意気込み、時期をたらたら先延ばしする。

旅に出る事は、こんなにも悩むものなのか
旅に出る事は、こんなにも理解されぬのか

僕が思う旅は、もっともっと自由で
極楽鳥が舞うようなものだと、想像していた。

ただ、いくら考えても何も始まらないから、とりあえず始めてみた。

旅は突然に始まる訳です。

これが、旅の始まりで御座います。

そして、旅には終わりがありまして。

僕は、砂漠を歩き続けた。

そうして、1年が経ち、2年が経った。

今では、もうどれほどの時が経ったか、分からない。

終わりが見えぬ事が怖くなって、
終わりを見つけようとするのだけれど、

どこでどうやって終止符を打てばいいのか、分かりませぬ。
誰かおしえておくれ。

ああ。君には、声はもう届かぬか。

僕は、このまま旅の世界に閉じ込められるのか。
それとも、こちらの世界に出口を見つけられるのか。
旅の終え方が分からぬ人は、一生旅を彷徨う。

とんとんとん。

そして僕は、彼と決別する。

朝目覚めると、君と出会う。

「旅の始まり、旅の終わり」


僕らの日記「2015年の新年から未来の僕らへ」

気づけば、2015年も終わりが見えて来た。

2015年のメモとか、投稿で良かったものをこちらにメモとして残そうと思います。
これは、TABIPPO2015という、学生主体で運営する旅の魅力を伝えるイベントを作っている時の投稿。
メンバーに向けた、僕の自己紹介。

自己紹介って、どんなテイストでやればいいのか、難しいですね。

1月も終わりますね。みっちーです。

大阪から日直が回ってきました。現在、福岡にいます。全都市30日を切っている。
これからの毎日が、本当に大切になってくる。と言っても1日24時間という事実は変わらない。
だけれども、僕らに取ってはこれから、もの凄く貴重な貴重な時間になる。
日直に何を書こうかと、色々と悩んだけれど、ちょっとテイストを変えて。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「僕らの日記」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

肌寒い日が続く。気が付くと僕は、お気に入りのバーの中にいた。
いつもの麦の味が強いビールを頼んで、ぼおっと真っ正面を見つめていた。静かな店内に流れる、映画カサブランカのAs time goes byを聞きながら、僕はおもむろに1冊の本を手に取った。古ぼけた、本だった。

「Who are you?」
「I am Michi from Japan」

とだけ、書かれていた。

表紙の最初には1987年8月26日と記されている。そこから、ずっと続いている。

その一冊をパラパラと捲ると、所々、日付が飛んでいる。
他の記録は、どこかに保存されているかもしれし、或は本当に何もなかったのかもしれない。
記憶程、曖昧なものは無い。バーで特にする事も無い僕は、グラスに残されたビールを飲みながら、その日記を少し覗いてみる事にした。

1987年。
と言われても中々ピンと来ないのだが、俵万智『サラダ記念日』、村上春樹『ノルウェイの森』だったりが、売れていた頃だ。等と言われても中々イメージ出来ない。

数字だけ言うと、2015年から、27年も前の話になる。
この27年という歳月も、なんだか長いのか短いのか、良く分からない。
世の中は、良く分からない事で満ちている。
日記の中は、大きく、18年間と9年間のページに分けられている。

小野 倫孝として過ごした18年間と
恩田 倫孝として過ごしている9年間。

恩田の社会人になってからのページにこう書かれている。

“親の都合で、名字が高校の時に変わっただけで、変更した事で人生が何か変わる事等ない。”

多分、名字が変わるというのは、さほど人生において意味は無い。ただ、画数と文字が変わるだけだ。
ただ、高校生の当時のページには、こう書かれている。

“絶対、名字を変えたく無い。小野という人生を18年も過ごしてきたのだから、今更変えるのは、本当に嫌。母親が名字を変えたとしても、僕は変えたく無い。明日、みんなにそう報告をしよう。名字は小野がいい。”


ただ、その翌週から、日記は恩田の章へとあっさり変わっていた。
なんだかんだと、葛藤を感じようとも後になればそんなものなのだ。当時の悩み等、時間が経てば大体笑って話せるようになる。ダイタイは。
小さい頃の章は、下手くそな可愛らしい文字で必死に書いてある。
小野時代の章を読み終える頃には、外はいつの間にか雪が降り始めていた。
この土地に来たのは、秋の始まりだったのに、すっかりと冬へと季節は変わっていた。
雪が降っている日は、なんだか心が落ち着いて、ずっと空の奥を眺めたくなる。
この雪はどこから降ってきているのだろうと。空は灰色く広がり、そして、地面は徐々に白く覆われていく。
「どこから来たんだい?」
陽気な、マスターが僕に話しかけてくる。
「ちょっと遠い所から」
「いつ、こっちに来たんだい?」
「分からないんだ。いつの間にか、ここにいるんだ。僕が誰なのかも忘れた」
マスターは、ちょっとめんどくさげな表情をしたが、元の位置に戻ってステアーを始めた。
くるくると綺麗に回るマドラーを眺めた。僕は、しばらくして、頬をつねって、恩田の大学の章をはぐった。

◎刺激的な日々を探したい。恩田19歳
大学に入って1年が経つ。そろそろ変わりたい。最近、そんな事を思う。
コールを振って飲み会を盛り上げるのもそろそろ疲れた。
毎日コールを振って飲んで潰れる。学校にも行かなくなる。いわゆる、廃人。廃人である、自分に何か変な誇りを持って。
俺は、何のために大学に入ったのだろう。ああ。何か違う。。
高校の頃大好きだった、数学も今では全くと言っていい程、興味を失い、自分のエネルギーがどんどん低下しているような気がする。このままでは、行けない。何かをしなくては。青チャートに注いだ情熱を再び取り戻そう!!

次のページを捲る。
まずは、色々な人に会いたいなー。沢山の社会人に会いたい!

次のページ
社会人をインタビューする学生記者団体に入った。
毎週、新しい社会人が来てくれて、色々話を聞けるみたい。ワクワク。

次のページ
多くの社会人と会って、僕は色々と満足を感じたと当時に、なんだか悲しくさえなってきた。
世の中には、本当に面白い人が居て、自由に生きている人がいて、楽しそうな人がいる。
でも、自分の過去を振り返ると、なんだかそれは味気なくて、つまらなくて、もの凄くクダラナイ人間なように
思えた。自分、なんなんって。自分が一人居なくても、世の中は、何事も無く動いて行くし、自分が生きてる意味なんなのだろうって思う。生きる意味を探そう。存在理由を探そう。このままでは、自分はイラナイ人間じゃんって。

次のページ
僕には、どうやら分からないらしい。
なんかやらなきゃって。でも、何をしていいか分からない。自分何したいん?
自由に生きなよ、と大人は都合良く言うんだ。自由って何だよ。大好きなジョブズも「follow your heart」って言うけどheartってどこにあるんだよ。
正直に生きるという事は言葉でいうのは簡単だけど、自分の心ってどこやねんって、突っ込みを入れながらものすごく悩む。自分に悲しみを感じた。自分という一番身近な存在でありながら、自分自身を知らない。知らないというより、分からない。そして、自分探し等というよく分からない事を始める。僕の家の中で、自分探しをしていて。とある本で、君はそこにいるのに、何を探しているか?という文句があった。自分が何を考え、何を求めているのか分からない。

次ページ
色々と考えてみると、自分にというものに興味が無かったんだと思う。愛の反対は無関心。という有名な言葉があるように。受験勉強は必死にやったような気がする。ただ、それ以外は殆ど知らぬそこらに転がる田舎の国から出て来た大学生だった。特に、何かに縛りつけられていたような感覚も無かったし、僕を縛り付けていたものが何かは知らぬが、これを人は視野と呼ぶのだろうか。
ああ。視野を広げたい。

次ページ
また色々と悩む。価値ある事って何だろう?みんなが認める価値を追い求めれば、それを作る事には意味があるって。僕はそう思うんだ。

次ページ
色々な団体に入って活動をしてきたけれど、一つ大きな過ちに気付いた。
何か団体に入ったら、自分に取ってこんなメリットがあるって、いつもこの組織が自分に何を与えてくれるのかっていう事を考えていたのだけど、違うんだって。
自分が何を提供できるか考える。
その結果、得るものがあるんだって。
気付くのが遅かったけど。
「自ら機会を作り、自らを成長させよ」
これは、大好きなリクルートの創始者の言葉なのだけど、
組織に何かを求めすぎない。自分が常に何かを作る。

次ページ
ビジョナリーカンパニーという本を読んだ。
長年、存続する企業の条件って何かっていう事を書いている本。
結論は、ビジョンがある会社。そして、それをみんな信じている事。
ビジョンは大切。なんのために、活動をするのか。どんな組織でもこれが大切。メモメモ。

次ページ
自他満。こんな言葉を聞いた。なるほどと。
生きているからには、全ては自己満。自分を満足させるために生きている事は揺るがないと思う。
ただ、1人の世界で自分だけを満足させるだけだとすぐ飽きてしまう。本を読んで、映画見て、美味しい料理を食べて、好きな物を買って。そして、その欲望は必ず、他人を満足させる所に向く。他人を満足させる、自己満。それが自他満。素敵な言葉だ。いかに、他人を満足をさせられるか。この言葉を大切に生きよう。

次ページ
海外に一人旅をしている人に会った。かっこいい。自分も一人で旅してます!っていう男になりたい。次の夏休みにいこ。

次ページ
最近、北方謙三の水滸伝にハマっている。
全18巻。続編は楊令伝15巻。そして、岳飛伝継続中。
中国宋の時代の話で、108人の登場人物が、当時の腐りきった宋の王朝を倒すかっていう事を描いている。登場人物、全員超かっこいい。みんなが持ってる志がいけてる。男の真価は志だ!そして、こんな文章を書ける北方謙三を尊敬する。

次ページ
夏休み。初めての一人旅に行ってきた。タイとミャンマー。もの凄く刺激的だった。自分で全てを決められるという自由な感覚。そして、言葉が通じないもどかしさ。ミャンマー人が妙に自分と似ていて親近感が湧いた事。ああ。もっともっと海外に行きたいよ。自分が知らない世界をもっと知りたいよ。

次ページ
研究室の生活が続く。理系なので、中々授業を休めない。海外行きたいぜ!

次ページ
教授を説得して、中東に行ける事になった。ヨルダン、トルコ、イスラエル。1ヶ月休んで行って
来ます。同期の小林君に800行程のプログラムを依頼して旅に出た。

次ページ
イスラム国。本当に日本と全然違う。そして、ドミトリーに泊まって沢山の友達が出来るのが嬉しい。日本に帰国してから、また会いたいって思える人に多く会えた。

次ページ
2010年冬。大学4年の冬。学生生活もとうとう4ヶ月程になった。
色々な事に手を出して、やってみたけど、これと言って大きな何かを成し遂げた事は無い。このまま終わるのは、やだなーと思っていた所に、同じ大学の同級生、塁からTABIPPO2011に誘われた。ああこれだって直感で体が頷いた。最後の全てを、ここに賭けてやろう。

◎2011年3月10日
ついに、学生最後のイベントTABIPPO2011が終わった。学生生活を積み上げて来たもの全てを出し切った。イベント自体は、一瞬で終わった。本当に一瞬で終わった。あまり、イベントの事を覚えていない。今まで準備して来た時間が、今日の3時間に詰めた。体の中を巡った高揚感だけが残っている。これから先、この同じメンバーで一緒に同じイベントをする事は無いんだろうなー。悲しい。そして、みんなありがとう。学生生活の中で一番素敵な時間だった。

◎2011年3月11日
大地震が起こった。前日にオールで打ち上げをしていた疲れから、地震の最中に目覚めなかった。起きたら、家の中の瓶等色々倒れていた。ただ、昨日イベントは終わったんだ。まだ、あまり実感が無いよ。

次ページ
携帯に友達から、メッセージが来ている。「イベントに行って良かった!って。」そっか。もうイベントは終わったんだなー。

次ページ
MTGが無くて寂しい。みんな何をしているんだろう。


僕は、一旦本を閉じて、窓を眺めた。
いつの間にか隣には、一人の女が来ていて、煙草を吸い続けている。

「何をそんなに、一生懸命読んでるの?」
「いや、特になにもする事が無いから、適当に読んでいただけさ」
「そうなの。ねえ、なんか私に楽しい話してくれない?今、色々と悩んでて。かっといい気分になりたいよ。」

と、言いながら女は笑った。
「バターとマーガリンの違いなら話せる」
「なにそれ。つまらなそう。」

と言いながら、彼女はスコッチを口に運んだ。

大体、バーには少し変わったお客さんが来る。
僕もなんで、ここに居るのかなんて分からないのだが。
そして、少し先のページを読んでみた。

◎働いていた会社を辞めて世界一周に行こうと思う (恩田 26)
理由をつければいくらでもある。
・色んな世界を見てみたい
・自由になりたい
・普通の生き方から外れたい
・色々な人と会いたい
・アーティストになりたい

どの理由も本当であり、それが全てでは無い。Follow my heartとでも言うのだろうか。何かに導かれるかのように、それはアルケミストの大いなる魂のように、僕を誰かが導いた。と言えば、なんとなくかっこよく聞こえるので、そういう事にしておこう。ただ、今なんだ。っていうタイミングを感じた。学生時代には感じなかったが、今は思う。

1年間の旅に行って来ます。

◎自由という恐怖
1年間の自由を手に入れた。ただ、これもこれで恐怖である。なんでもしていいよと言われている状況で楽しめる事って、自分の楽しさの限界のような気がして。その自分の限界を見るのがなんだか怖い。でも楽しみだんだけど。

◎バーニングマンという理想郷
アメリカネバタ州の砂漠で行われるアートとミュージックフェス。旅の初日をバーニングマンの開始日に合わせた。何も無い砂漠で、「傍観者であるな」とうモットーの下、みんなで表現しあい、お金も使わず、他人にgiveし続けるフェス。1週間だけ出来上がるその空間は、まるで理想郷のようであり、このフェスのメッセージが好き。
・自分が表現すること。
・いかに相手にGIVEできるのか
これをテーマに旅しようかなー。

◎孤独の快楽
1人旅で、宿に誰もいないと孤独を感じる。移動も孤独。でも、なんだかこの孤独を感じるからこそ、人と会う時の喜びがあるんだと思う。孤独を楽しむようにしよう。

◎フィリピンの涙
フィリピンで2ヶ月間、語学学校に行った。一緒のルームメイト韓国人「NK」と分かれる時も泣いたし、個別レッスンの授業が終わった時、個室の中で泣いた。別れって単純に寂しい。日本で、あまり別れの涙って無いよな。確かに。別れる事ってあまり無いし。


そこから、僕は少し章を飛ばして最後の方へと移った。

◎世界一周を終えて
この1年間は、過去26年間の中で一番感情を揺さぶられた。
号泣は6回程。こんなに泣いた事は記憶に無い。本当に行ってよかった。
また行きたい。色んな友達が出来た。色んな好きな国が出来た。
最高の1年間でした。
まだ、言葉にできない。もっと感情が落ち着いてから、言葉にしよう。
興奮状態。

◎TABIPPO2015が始まる
10月。しみなお、しょう、塁と会ってたびっぽをやる事を決めた。東京、大阪、福岡。
タイトルは、「ココロ踊る旅に出よう!」
一番、旅の記憶がフレッシュだから、海外で感じた事を色々と盛り込みながら、過去最高のイベントにしたい。
2011年に関わってから、4年。時は流れた。

次ページ
スタッフ募集を開始した。全国各地から沢山の応募があって、嬉しい。これから始まるんだ。

次ページ
キックオフMTG東京開始。変わったあだ名のメンバーが多いし、アンディー、ジョニー、ジョンソン、モハメド、キャンベル。日本も変わったな。

次ページ
スタッフ全体にメールをGmailで送った。
最初に送るメールで緊張した。
本メールの目的:
TABIPPO2015の開催背景の共有と理解
▼目次
1.はじめに
2.背景共有
3.世界一周が実現するコンテストwiz TABIPPOあらため、世界一周したい人の夢を叶えるTABIPPO 世界一周コンテストDREAMについて
4.世界一周した人が旅を伝えるTABIPPO 世界一周コンテストWORLDについて
5.最後に
付録.僕のお話
少し固すぎたかなー。

次ページ
11月9日
東京合宿。Worldのメンバーに言いよられる。
WEBに掲載する表記を変えて下さい。
賞金10万円じゃ無くて、「行けなかったあの場所に、再会を約束したあの人に会いに行って欲しい」というメッセージを込めて、賞金10万円を贈呈致します。
にして下さいって。
いいメッセージだけど、言ってくるの、遅すぎだよ。。
次ページ

11月10日。
WEBリリースがずれ込む。みんな必死に待機して、待機して、待機して、TABIPPO2015のサイトがリリースされた。これから、コンテスト開始!と思ったら、サーバーが落ちた。じょんそんと一緒に恵比寿のバーに行った。

次ページ
福岡の副代表が辞めた。めちゃくちゃショックだった。メンバーが去る事は本当に悲しい。そして、申し訳ない気持で一杯になる。福岡は、こーたに掛ける負担が多くなる。。

次ページ
福岡IN。しみなおと一緒にTABPPOの話や自己紹介をする。TABIPPO2011の最初の雰囲気を思い出す。ただ、TABIPPOが遠い所にある事を感じる。もっともっとコミュニケーションを取らなくちゃ。

次ページ
11月28日
大阪に行って、初めて大阪メンバーと会う。最初の歓迎会で、ビンタされるし、脇を男に舐められるし、各都市色々なカラーがあっていいなー。って、良く無いわ!
大阪のMTGのレベルの高さに感動する。たくやとかねが本当に凄い!ほのかもなんか、怖い。

次ページ
広報が中々動けず、塁に色々と相談をする。

次ページ
12月18日。
コンテスト期間を延長した。
まだまだやりきれていない事があった。ただ、最初に決めた期限を変更する事は悔しい。もっともっとやりきれた。反省。

次ページ
1月1日。
2015年です。僕らに取って激動の2014年が終わり、そして、2015年が始まりました。
これから、東京には20日まで戻らない。滋賀→大阪→福岡→大阪→東京の予定。
東京のメンバーと会えなくなるのが寂しいなー。

次ページ
1月2日
大阪主催の全都市合宿。雪降り積もる滋賀のマキノ。人生でこれから、絶対に来ないだろうマキノ。
超楽しかった。大阪チーム凄いな。

次ページ
コンテスト締め切る。
さあ。ただ、正月からエンジンがあまりかかっていない。焦る。

次ページ
大阪Dream&World面接
めちゃくちゃよかった!やなり変なやつは多い。良い意味で。コーラを飲み出すやつ。プレゼン資料が無いやつ。プロのローラースケーター。コンテストが成功すると確信した。

次ページ
東京Dream&World面接
東京もめちゃくちゃよかった!選べない位、めちゃくちゃよかった。ラーメン野郎がいたり、コーヒーを作るやつ、一輪車の世界チャンピオン、顔にケチャップを塗りながらプレゼンをする子。色々と度肝を抜かれた。

次ページ
東京MTGに久しぶりに参加。
集客がどの都市より上手く言っている。コンテンツも詰まってきてる。
おかゆが色々と凄い。ほんと宇宙人。

次ページ
2015年1月30日
大阪から日直が回ってきました。現在、福岡にいます。全都市30日を切っている。
これからの毎日が、本当に大切になってくる。と言っても1日24時間という事実は変わらない。
だけれども、僕らに取ってはこれから、もの凄く貴重な貴重な時間になる。

次ページ
2015年1月31日
まだまだいいコンテンツを作れる。
丁寧に詰めて行こう。
本当にこれでお客さんは満足するのか?
考えきれているのか?
来たお客さんが、ココロ踊る姿を想像出来る?

次ページ
2015年2月
夢中でやれてる?
本気でやれてる?
自問自答。
目をつぶって、本番を想像出来る?
後悔なんて、絶対したくない。


気が付くと、隣でタバコを吸っていた女も居なくなり、店内には僕一人だけになっていた。
人生なんて、楽しむためにあるんだろ。
志を持って
友を持って
自由を生きろよ。
旅しなよ。

マスターはそんな歌を口ずさんでいた。
僕は、日記の最後のページをはぐった。


◎2015年2月17日,19日,24日を振り返る
肌寒い日が続きますね。

今でもあの日の事を思い出す。
今でも、忘れる事が出来ないイベント当日。
そして、それまでの忘れられない思い出。
皆はどんな日記を書いていたんだろう。
本番までの日記をいつか読ませてよ。
夢中で走ったあの日々は、いつまでも忘れないよ。

終わり