人はいつだって迷うし、旅にでるのだ。

人はいつだって、迷う。

それは、なんども、なんども。

このままでいいんだろうかという漠然とした不安。

なにがやりたいのか分かないという止まらぬ葛藤。

別に、迷うことが悪いわけではない。

それは、生きる上で必要なことだと思う。

ただ、何かの変化が起きるきっかけを僕は一つだけ知っている。

「旅にでること」

*****

「旅」という存在を知ったのは、たぶん大学のころだったと思う。新潟出身の僕は、まわりに旅をしている人もいなかったし、旅に出ようと思ったことも無かった。

大学に入学してしばらくすると、大学生活に慣れてしまった。きつい言葉を使うのならば、大学に飽きてしまったというのが正しいのかもしれない。講義を受けて、サークルに行って、バイトをしてという毎日に。

そんな生活を変えたかった。でも、どうしたらいいのか分からず、僕はぼおっと空を眺めていた。

ある日、友人に1冊の本をススメられた。それは、いわゆる旅行記と言われるもので、著者が見た世界や色々な感情が日記口調で描かれていた。こんな世界を僕も見てみたい。夜、興奮して眠ることが出来なかった。

間もなくして僕は、旅に出た。大きなバックパックを背負って。

世の中には、初めてみる民族がいて、通じない言葉があって、熱狂的なカーニバルで太鼓を叩いていて、時には美味しくない料理もあった。世の中は楽しかったし、怖かったし、美しかった。

僕の知らない世界がそこにはあった。

*****

人はいつだって、迷う。

それは、なんども、なんども。


恥ずかしさを、だれかと分かちあって

自分の中には、なんだか恥ずかしいけど好きなことってあると思う。誰かに言いたいんだけれど、なんとなく恥ずかしいもの。僕はそっと数えてみてもいくつかある。

でも、誰かにふと話してみるのも案外いい。

「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」

なんていうことわざがあるが、これになんとなく似ている気がする。そして、分かってくれる人がいることは、なんと嬉しいことか。きっと誰かは分かってくれる。きっと誰かは。

1人で楽しむよりも、誰かと楽しんだ方がそれはいいのだ。

※※※※

高校のころ、数学と物理がとても好きだった。

勉強をすることはあまり嫌いではなかったのだが、この2つの教科は特に大好きで、数学の問題1つだけを1日中考えていても、別に苦にはならなかった。

「数学はエレガントに解くものだ」

この大好きなフレーズは、ある予備校の森先生からの受け入りなのだが、彼の授業を受けることに、当時の僕はこれ以上ないほどに幸せを感じ、いつも興奮していた。

そして、受験が終わり大学に入ると、なぜだか数学と物理への熱意はすっと冷めてしまった。それは僕が単純に「受験勉強」というものだけが大好きで、それ以上の才能は無かったのかもしれない。

しばらくつまらない時間だけがとーん、とーんと進んでいったのだが、僕はいつのまにか「小説」にはまっていた。ほんとうはこんな原体験があって小説にはまった、なんていうかっこいいエピソードを挟んでみたかったのだが、なにか大きなきっかけがあった訳ではない。

ただ最初に小説を読んでいるとき、葛藤があったのは覚えている。この文章を読むことで、将来なんの役にたつのだろう、と。

外資だ、起業だ、プログラミングだなんていう人が周りに多くて、みんな本と言えばマーケティングとかMBAや自己啓発なんていう難しそうな本を読んでいる人ばかりだった。

なんだかんだロジカル、というもので将来を考えると、どうしても小説を読むということは、選択肢に入らなそうだったのだが、みんながプログラミングの勉強をしている傍ら、僕は小説を持って旅に出た。



小説の物語というもの以上に、僕は文字の美しさに心を奪われた。それは、リズムの美しさだったり、雰囲気だったり。そして、美しい文章を読んでは、音読して真似て書くようになった。

でも、大学に戻って「ねえ、小説とかポエム好き?」なんて聞いてもみんな「え?ポエム?」なんて少し笑いながら僕をみた。

理工学部にいたから、みんなからしたらプログラミングをどうエレガントに書くかとういうことが大切なのに、今日は月がきれいだねなんて言う僕は浮いていたのだと思う。

理解されない、というのは悲しいものでいつしか詩的/ポエミーな文章が好きなのだということを僕はあまり言わなくなった。たぶん、恥ずかしさのようなものを感じていたのだろう。

そして、しばらく時がたつ。

旅に出て、自分を知らぬ人と会っていると、自分というものを全てさらけ出すことになんの抵抗もなくなった。

全てなんて理解されなくてもいい。少しだけでも共感があればそれは嬉しい。いつの頃からか、詩的な文章が好きだよ、という人に少しずつめぐりあえるようになった。

共感をしてくれる人は、もしかしたら少ないのかもしれない。でも、少しはいるのだと思う。そして、その小さな波紋は、気づかぬうちにゆっくりゆっくりと広がっていく。


「ねえ、なんとなく泣きたい時、何をしたらいい?」

気づいたら、僕はこんな文章をメッセンジャーに打ちこんでいた。

誰が分かってくれるかなんて、もちろん分からないのだけれども。


どこにいても、きっとうまくいくのだ【インド・ラダック】

方向音痴の僕は、よく道に迷う。

それも、ひんぱんに。

でも、迷ったときに心に決めている決まりごとがある。

だいじょうぶ。だいじょうぶ。きっとうまくいく。

何が大丈夫なのかなんて、もちろん分からないのだけれども。

All izz well.

こまった時には、いつもこういうのだ。


※※※※※※


2017年9月。僕は、インド北部の『ラダック』へ行った。

旅をすることは好きなのだけれども、インドにはどうしても行こうという気持ちにならなかった。それは、ごちゃごちゃしているような感じで、なんとなく汚そうな印象があったからだ。

インドに行けば人生が変わるよ、なんて学生の頃はよく聞いていたのだが、人生が変わるほどの場所なんてそんなに無いだろうし、いつも話半分で適当にうんうんと聞いていた。

インドはどんな国?という質問はたぶん意味があまりなくて、くりかえしインドに取り憑かれたかのように行く人もいるし、拒否をして直ぐにかえって来てしまう人もいるし、世界の色々なものをデタラメにごちゃまぜにした感じの場所なのだと思う。

北部の『ラダック』は、チベット仏教の文化が残っている落ち着いた場所だというのは聞いていた。そして、どういうわけか僕はこの場所にひかれていた。大いなる魂を感じたサンチャゴの声を聞いたのかもしれない。

2017年の新年の目標に「ラダックにいく」という事をきめていた。もちろんその場のいきおいで決めたというのもある。でも、なんども「ラダックにいく」と言っていると、ふしぎと大切な事のように感じ、ずっと記憶のかたすみに大切に保存されていた。

話は少しさかのぼる。
2014年。ぼくは、比較的長い旅にでた。そして、比較的長い間歩いた。それは時間的にも物理的も。でも、その旅を終えてからというもの、海外へ行きたいという強い感情は、なかなか湧き上がってこなかった。

帰国したあとに、なんだか日本はいい国だなあという事を感じた事もあるし、ここには僕の好きなコミュニティがあったからかもしれない。そして、少しずつ生きることと働くことが上手につながってきた感覚もある。

でも、旅に行きたくなるというのは、そんなこと全てを忘れてなにか別の世界で生きてみたいと思う時なのだ。2014年から3年という時間を経て、その衝動はやってきたのだ。久しぶりの一人旅だった。

浅草の家から、羽田まで一本。どんどん空港が近づいてくると、なんだかそわそわしてきた。

旅の世界は、多分別の時間軸があるのだと思うけれど、なかなかその世界があらわれて来ない。僕はまだ、何かの準備がたりていないのかと不安に思いながらも、飛行機にのりこんだ。

羽田から中国を経由して、ニューデリーへと行く。そして、乗り継いでレーという空港に降り立った。標高は3,000メートル。高山病対策の薬を飲んでいたので、指先がぴりぴりと痛む。

空港から出た時の空気は、いつも吸っている空気はちょっと違って「海外の味」がした。

空はこれ以上ないほどに綺麗に晴れていて、周りは大きな山で囲われていた。今の時代だから、こうやって飛行機でかんたんに来れてしまうのだけれども、昔はどうやって来たのだろう、と思う程に大きく、きれいな山がそびえ立っている。

ぐるぐると周りを見渡していると、僕は確実に日本ではないどこかにいた。目の前には、知らない人が立っている。それは、日本でも同じなのだけれども。

しばらく歩く。

気温は暑い。

どこまでも続く道と高い山を見ていると、僕は急にだれかに押されて、とん、と向こうの世界に入った。それは、なんのお告げもなく急にきた。

現地についてから、やや遅れて僕の「旅の世界」はやってきた。久しぶりに感じる、この静かだけれどもわくわくした感覚。元気してた?なんて言いながら、僕はふたたび歩きだした。

山の上には「ゴンパ」と呼ばれる僧院があって、子どもたちが勉強をしている。街のいたる所に、マントラが刻まれているマニ車と呼ばれる、チベット仏教の大きな仏器がある。ラダックの街の一部はとてもカラフルで、お昼をすぎると多くの人が野菜を売るマーケットに変わる。この雰囲気は、中米でも見たことのあるような気がした。

世界中はもちろんどこか違うし、でも似ていると感じることがある。国境なんて、人間によって勝手にひかれたものだから、一歩境の外に出たとしても何かが急に変わるわけではない。ただ、すこしずつ変わっていく。

ときどき、この遠い土地同士がなにかつながっていたのかもしれないという事を感じると、歴史を振り返るのだ。それは、いいことも悪いことも教えてくれる。


ラダックは、とにかく気持ちが落ち着く場所だった。

日本語が書かれた旅行代理店に入ると、現地の人がいろいろと教えてくれた。(※でも一切日本語は話せない)

キレイな湖「パンゴンツォ」がとてもオススメなのだけれども、標高が4,000メートル近くなので街ですこし体を慣らす必要があると聞いた。なので、少しこの街を楽しんで行けと。そして、なぜかアプリコットの実をたくさん貰った。

後日、ぼくはスクーターを借りて、山の上の大きな「ゴンパ/僧院」へとむかった。5,6時間で着く距離のようだ。街中で聞いた話しなのだが、どうやら泊まれる場所があるらしい。途中、きれな景色をみて、ピクニックをして山の上までのぼった。山の上の方は、道とはいえないような砂利道だったが、移動はとても気持ちよかった。キレイな夕日が沈みかけたころ、僕は山頂へ到着した。

2人の赤い袈裟をきた僧侶が歩いていたので、話しかける。

「こんばんは。今日、こちらに泊まりたいんだけど大丈夫でしょうか」

2人の僧侶は、少し戸惑った顔をして答えた。

「残念なんだけれども、今日は宿泊の施設が空いていないんだ」

僕は、すこしの間言葉を失ったが、彼らがそういうならば僕には泊まる場所がここにはないのだ。かなりの長い時間移動してきたのが、そんな事を言っても意味はないのだ。

「ありがとうございます」

そう言って、陽が沈むのをみながら、僕は山を下り始めた。急いでスクーターを飛ばしたとしても、下りきる前には陽が沈むことは明らかだった。

暗闇の中、どこか分からないラダックの地を走るのは少し不安だった。ただ、ライトで照らされる道をじっと見つめながら、進んだ。

そして、僕はふと空を見上げた。


きれいな星空が広がっていた。

もうどこに泊まれるかも分からないし、どんな場所にいるのかも分からない僕はスクーターから降りてしばらく空を眺めることにした。

じっと見ていると、星の光がとぎれとぎれに僕の目に入ってくる。多くの流れ星が空を走り、高い山はこんな暗闇の中でも存在を確認できる。

きっとうまく。

インド映画「3 idiots/きっとうまくいく」の主題歌のAll izz wellを歌いながら、空を眺める。なんだか、勝手に幸せな気分を感じていた。

その後、停電をしている村で交渉をしたり、アブリル・ラビーンが流れるバーでお店の人に交渉しても中々泊まれる場所はなかったのだけれども、小さな村でやっと泊まれる家を発見した。

おじいちゃんから、可愛い孫までいるキレイで優しい家だった。

小さなマニ車をおじいちゃんはくるくると回しながら笑顔で迎えてくれた。テレビには、「ドラえもん」がチベット語で流れていた。つたない英語を話す優しいお母さんから、美味しいご飯をごちそうになり、しばらくして用意された寝室に戻った。

横になって、目を閉じる。色々な事があったけれど、最高の1日だったじゃないか。ポケットに手をいれると、どこかで貰ったアプリコットの実があった。

All izz well


鳥の囀り

時は生き物ではなく、
ただ存在するものだと最近は思う。

ただ、お前に知られずとも、
ここに存在する事を証明するために
向こうの見えぬ地へと足を動かす

時に喜び
時に悲しみ
不確かな意味を噛み締め
多くと出会い
同じ数だけの別れに涙す
これが生きるという事だ

月が海に溶けゆく時
周りに慈愛が満ち溢れる

静まり返った世界に
1匹の鳥の囀りで、
今年が終わり、
そして、来年が始まる。


悲しき君は、手のひらから零れ落ちて。

ここにある綺麗な世界を離れ
向こうの地獄を理想郷と讃え
そこに向かう姿勢を見せる
悲しき君。
 
彼方にある陽炎の揺らめき見つめ
頬に涙を伝わせながら走りつつ
消えゆく音の寒さに包まれる
悲しき君。
 
いつから、君はここを離れ
いつから、君は心を閉ざし
君は、君を捨てたのか。
 
自分を支える我が抜かれ
君は消えるようにして
地球の手のひらから零れ落ちてしまった。
 
ただ、地球はくるくるとまわり続ける。


「旅の始まり、旅の終わり」

旅には、始まりがありまして。

どんな旅をすればいいのか、分からなくなって、
僕は君に助けを求める。

人の目なんて気にする必要なんてないのだし、
自分が思うがままに、好きに歩けばいいさ、と
君は、さらっと言うのだけれども、

せっかく旅に出るのだから、一生モノの旅にしたいと

強く意気込み、時期をたらたら先延ばしする。

旅に出る事は、こんなにも悩むものなのか
旅に出る事は、こんなにも理解されぬのか

僕が思う旅は、もっともっと自由で
極楽鳥が舞うようなものだと、想像していた。

ただ、いくら考えても何も始まらないから、とりあえず始めてみた。

旅は突然に始まる訳です。

これが、旅の始まりで御座います。

そして、旅には終わりがありまして。

僕は、砂漠を歩き続けた。

そうして、1年が経ち、2年が経った。

今では、もうどれほどの時が経ったか、分からない。

終わりが見えぬ事が怖くなって、
終わりを見つけようとするのだけれど、

どこでどうやって終止符を打てばいいのか、分かりませぬ。
誰かおしえておくれ。

ああ。君には、声はもう届かぬか。

僕は、このまま旅の世界に閉じ込められるのか。
それとも、こちらの世界に出口を見つけられるのか。
旅の終え方が分からぬ人は、一生旅を彷徨う。

とんとんとん。

そして僕は、彼と決別する。

朝目覚めると、君と出会う。

「旅の始まり、旅の終わり」


僕らの日記「2015年の新年から未来の僕らへ」

気づけば、2015年も終わりが見えて来た。

2015年のメモとか、投稿で良かったものをこちらにメモとして残そうと思います。
これは、TABIPPO2015という、学生主体で運営する旅の魅力を伝えるイベントを作っている時の投稿。
メンバーに向けた、僕の自己紹介。

自己紹介って、どんなテイストでやればいいのか、難しいですね。

1月も終わりますね。みっちーです。

大阪から日直が回ってきました。現在、福岡にいます。全都市30日を切っている。
これからの毎日が、本当に大切になってくる。と言っても1日24時間という事実は変わらない。
だけれども、僕らに取ってはこれから、もの凄く貴重な貴重な時間になる。
日直に何を書こうかと、色々と悩んだけれど、ちょっとテイストを変えて。

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「僕らの日記」
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肌寒い日が続く。気が付くと僕は、お気に入りのバーの中にいた。
いつもの麦の味が強いビールを頼んで、ぼおっと真っ正面を見つめていた。静かな店内に流れる、映画カサブランカのAs time goes byを聞きながら、僕はおもむろに1冊の本を手に取った。古ぼけた、本だった。

「Who are you?」
「I am Michi from Japan」

とだけ、書かれていた。

表紙の最初には1987年8月26日と記されている。そこから、ずっと続いている。

その一冊をパラパラと捲ると、所々、日付が飛んでいる。
他の記録は、どこかに保存されているかもしれし、或は本当に何もなかったのかもしれない。
記憶程、曖昧なものは無い。バーで特にする事も無い僕は、グラスに残されたビールを飲みながら、その日記を少し覗いてみる事にした。

1987年。
と言われても中々ピンと来ないのだが、俵万智『サラダ記念日』、村上春樹『ノルウェイの森』だったりが、売れていた頃だ。等と言われても中々イメージ出来ない。

数字だけ言うと、2015年から、27年も前の話になる。
この27年という歳月も、なんだか長いのか短いのか、良く分からない。
世の中は、良く分からない事で満ちている。
日記の中は、大きく、18年間と9年間のページに分けられている。

小野 倫孝として過ごした18年間と
恩田 倫孝として過ごしている9年間。

恩田の社会人になってからのページにこう書かれている。

“親の都合で、名字が高校の時に変わっただけで、変更した事で人生が何か変わる事等ない。”

多分、名字が変わるというのは、さほど人生において意味は無い。ただ、画数と文字が変わるだけだ。
ただ、高校生の当時のページには、こう書かれている。

“絶対、名字を変えたく無い。小野という人生を18年も過ごしてきたのだから、今更変えるのは、本当に嫌。母親が名字を変えたとしても、僕は変えたく無い。明日、みんなにそう報告をしよう。名字は小野がいい。”


ただ、その翌週から、日記は恩田の章へとあっさり変わっていた。
なんだかんだと、葛藤を感じようとも後になればそんなものなのだ。当時の悩み等、時間が経てば大体笑って話せるようになる。ダイタイは。
小さい頃の章は、下手くそな可愛らしい文字で必死に書いてある。
小野時代の章を読み終える頃には、外はいつの間にか雪が降り始めていた。
この土地に来たのは、秋の始まりだったのに、すっかりと冬へと季節は変わっていた。
雪が降っている日は、なんだか心が落ち着いて、ずっと空の奥を眺めたくなる。
この雪はどこから降ってきているのだろうと。空は灰色く広がり、そして、地面は徐々に白く覆われていく。
「どこから来たんだい?」
陽気な、マスターが僕に話しかけてくる。
「ちょっと遠い所から」
「いつ、こっちに来たんだい?」
「分からないんだ。いつの間にか、ここにいるんだ。僕が誰なのかも忘れた」
マスターは、ちょっとめんどくさげな表情をしたが、元の位置に戻ってステアーを始めた。
くるくると綺麗に回るマドラーを眺めた。僕は、しばらくして、頬をつねって、恩田の大学の章をはぐった。

◎刺激的な日々を探したい。恩田19歳
大学に入って1年が経つ。そろそろ変わりたい。最近、そんな事を思う。
コールを振って飲み会を盛り上げるのもそろそろ疲れた。
毎日コールを振って飲んで潰れる。学校にも行かなくなる。いわゆる、廃人。廃人である、自分に何か変な誇りを持って。
俺は、何のために大学に入ったのだろう。ああ。何か違う。。
高校の頃大好きだった、数学も今では全くと言っていい程、興味を失い、自分のエネルギーがどんどん低下しているような気がする。このままでは、行けない。何かをしなくては。青チャートに注いだ情熱を再び取り戻そう!!

次のページを捲る。
まずは、色々な人に会いたいなー。沢山の社会人に会いたい!

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社会人をインタビューする学生記者団体に入った。
毎週、新しい社会人が来てくれて、色々話を聞けるみたい。ワクワク。

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多くの社会人と会って、僕は色々と満足を感じたと当時に、なんだか悲しくさえなってきた。
世の中には、本当に面白い人が居て、自由に生きている人がいて、楽しそうな人がいる。
でも、自分の過去を振り返ると、なんだかそれは味気なくて、つまらなくて、もの凄くクダラナイ人間なように
思えた。自分、なんなんって。自分が一人居なくても、世の中は、何事も無く動いて行くし、自分が生きてる意味なんなのだろうって思う。生きる意味を探そう。存在理由を探そう。このままでは、自分はイラナイ人間じゃんって。

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僕には、どうやら分からないらしい。
なんかやらなきゃって。でも、何をしていいか分からない。自分何したいん?
自由に生きなよ、と大人は都合良く言うんだ。自由って何だよ。大好きなジョブズも「follow your heart」って言うけどheartってどこにあるんだよ。
正直に生きるという事は言葉でいうのは簡単だけど、自分の心ってどこやねんって、突っ込みを入れながらものすごく悩む。自分に悲しみを感じた。自分という一番身近な存在でありながら、自分自身を知らない。知らないというより、分からない。そして、自分探し等というよく分からない事を始める。僕の家の中で、自分探しをしていて。とある本で、君はそこにいるのに、何を探しているか?という文句があった。自分が何を考え、何を求めているのか分からない。

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色々と考えてみると、自分にというものに興味が無かったんだと思う。愛の反対は無関心。という有名な言葉があるように。受験勉強は必死にやったような気がする。ただ、それ以外は殆ど知らぬそこらに転がる田舎の国から出て来た大学生だった。特に、何かに縛りつけられていたような感覚も無かったし、僕を縛り付けていたものが何かは知らぬが、これを人は視野と呼ぶのだろうか。
ああ。視野を広げたい。

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また色々と悩む。価値ある事って何だろう?みんなが認める価値を追い求めれば、それを作る事には意味があるって。僕はそう思うんだ。

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色々な団体に入って活動をしてきたけれど、一つ大きな過ちに気付いた。
何か団体に入ったら、自分に取ってこんなメリットがあるって、いつもこの組織が自分に何を与えてくれるのかっていう事を考えていたのだけど、違うんだって。
自分が何を提供できるか考える。
その結果、得るものがあるんだって。
気付くのが遅かったけど。
「自ら機会を作り、自らを成長させよ」
これは、大好きなリクルートの創始者の言葉なのだけど、
組織に何かを求めすぎない。自分が常に何かを作る。

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ビジョナリーカンパニーという本を読んだ。
長年、存続する企業の条件って何かっていう事を書いている本。
結論は、ビジョンがある会社。そして、それをみんな信じている事。
ビジョンは大切。なんのために、活動をするのか。どんな組織でもこれが大切。メモメモ。

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自他満。こんな言葉を聞いた。なるほどと。
生きているからには、全ては自己満。自分を満足させるために生きている事は揺るがないと思う。
ただ、1人の世界で自分だけを満足させるだけだとすぐ飽きてしまう。本を読んで、映画見て、美味しい料理を食べて、好きな物を買って。そして、その欲望は必ず、他人を満足させる所に向く。他人を満足させる、自己満。それが自他満。素敵な言葉だ。いかに、他人を満足をさせられるか。この言葉を大切に生きよう。

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海外に一人旅をしている人に会った。かっこいい。自分も一人で旅してます!っていう男になりたい。次の夏休みにいこ。

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最近、北方謙三の水滸伝にハマっている。
全18巻。続編は楊令伝15巻。そして、岳飛伝継続中。
中国宋の時代の話で、108人の登場人物が、当時の腐りきった宋の王朝を倒すかっていう事を描いている。登場人物、全員超かっこいい。みんなが持ってる志がいけてる。男の真価は志だ!そして、こんな文章を書ける北方謙三を尊敬する。

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夏休み。初めての一人旅に行ってきた。タイとミャンマー。もの凄く刺激的だった。自分で全てを決められるという自由な感覚。そして、言葉が通じないもどかしさ。ミャンマー人が妙に自分と似ていて親近感が湧いた事。ああ。もっともっと海外に行きたいよ。自分が知らない世界をもっと知りたいよ。

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研究室の生活が続く。理系なので、中々授業を休めない。海外行きたいぜ!

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教授を説得して、中東に行ける事になった。ヨルダン、トルコ、イスラエル。1ヶ月休んで行って
来ます。同期の小林君に800行程のプログラムを依頼して旅に出た。

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イスラム国。本当に日本と全然違う。そして、ドミトリーに泊まって沢山の友達が出来るのが嬉しい。日本に帰国してから、また会いたいって思える人に多く会えた。

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2010年冬。大学4年の冬。学生生活もとうとう4ヶ月程になった。
色々な事に手を出して、やってみたけど、これと言って大きな何かを成し遂げた事は無い。このまま終わるのは、やだなーと思っていた所に、同じ大学の同級生、塁からTABIPPO2011に誘われた。ああこれだって直感で体が頷いた。最後の全てを、ここに賭けてやろう。

◎2011年3月10日
ついに、学生最後のイベントTABIPPO2011が終わった。学生生活を積み上げて来たもの全てを出し切った。イベント自体は、一瞬で終わった。本当に一瞬で終わった。あまり、イベントの事を覚えていない。今まで準備して来た時間が、今日の3時間に詰めた。体の中を巡った高揚感だけが残っている。これから先、この同じメンバーで一緒に同じイベントをする事は無いんだろうなー。悲しい。そして、みんなありがとう。学生生活の中で一番素敵な時間だった。

◎2011年3月11日
大地震が起こった。前日にオールで打ち上げをしていた疲れから、地震の最中に目覚めなかった。起きたら、家の中の瓶等色々倒れていた。ただ、昨日イベントは終わったんだ。まだ、あまり実感が無いよ。

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携帯に友達から、メッセージが来ている。「イベントに行って良かった!って。」そっか。もうイベントは終わったんだなー。

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MTGが無くて寂しい。みんな何をしているんだろう。


僕は、一旦本を閉じて、窓を眺めた。
いつの間にか隣には、一人の女が来ていて、煙草を吸い続けている。

「何をそんなに、一生懸命読んでるの?」
「いや、特になにもする事が無いから、適当に読んでいただけさ」
「そうなの。ねえ、なんか私に楽しい話してくれない?今、色々と悩んでて。かっといい気分になりたいよ。」

と、言いながら女は笑った。
「バターとマーガリンの違いなら話せる」
「なにそれ。つまらなそう。」

と言いながら、彼女はスコッチを口に運んだ。

大体、バーには少し変わったお客さんが来る。
僕もなんで、ここに居るのかなんて分からないのだが。
そして、少し先のページを読んでみた。

◎働いていた会社を辞めて世界一周に行こうと思う (恩田 26)
理由をつければいくらでもある。
・色んな世界を見てみたい
・自由になりたい
・普通の生き方から外れたい
・色々な人と会いたい
・アーティストになりたい

どの理由も本当であり、それが全てでは無い。Follow my heartとでも言うのだろうか。何かに導かれるかのように、それはアルケミストの大いなる魂のように、僕を誰かが導いた。と言えば、なんとなくかっこよく聞こえるので、そういう事にしておこう。ただ、今なんだ。っていうタイミングを感じた。学生時代には感じなかったが、今は思う。

1年間の旅に行って来ます。

◎自由という恐怖
1年間の自由を手に入れた。ただ、これもこれで恐怖である。なんでもしていいよと言われている状況で楽しめる事って、自分の楽しさの限界のような気がして。その自分の限界を見るのがなんだか怖い。でも楽しみだんだけど。

◎バーニングマンという理想郷
アメリカネバタ州の砂漠で行われるアートとミュージックフェス。旅の初日をバーニングマンの開始日に合わせた。何も無い砂漠で、「傍観者であるな」とうモットーの下、みんなで表現しあい、お金も使わず、他人にgiveし続けるフェス。1週間だけ出来上がるその空間は、まるで理想郷のようであり、このフェスのメッセージが好き。
・自分が表現すること。
・いかに相手にGIVEできるのか
これをテーマに旅しようかなー。

◎孤独の快楽
1人旅で、宿に誰もいないと孤独を感じる。移動も孤独。でも、なんだかこの孤独を感じるからこそ、人と会う時の喜びがあるんだと思う。孤独を楽しむようにしよう。

◎フィリピンの涙
フィリピンで2ヶ月間、語学学校に行った。一緒のルームメイト韓国人「NK」と分かれる時も泣いたし、個別レッスンの授業が終わった時、個室の中で泣いた。別れって単純に寂しい。日本で、あまり別れの涙って無いよな。確かに。別れる事ってあまり無いし。


そこから、僕は少し章を飛ばして最後の方へと移った。

◎世界一周を終えて
この1年間は、過去26年間の中で一番感情を揺さぶられた。
号泣は6回程。こんなに泣いた事は記憶に無い。本当に行ってよかった。
また行きたい。色んな友達が出来た。色んな好きな国が出来た。
最高の1年間でした。
まだ、言葉にできない。もっと感情が落ち着いてから、言葉にしよう。
興奮状態。

◎TABIPPO2015が始まる
10月。しみなお、しょう、塁と会ってたびっぽをやる事を決めた。東京、大阪、福岡。
タイトルは、「ココロ踊る旅に出よう!」
一番、旅の記憶がフレッシュだから、海外で感じた事を色々と盛り込みながら、過去最高のイベントにしたい。
2011年に関わってから、4年。時は流れた。

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スタッフ募集を開始した。全国各地から沢山の応募があって、嬉しい。これから始まるんだ。

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キックオフMTG東京開始。変わったあだ名のメンバーが多いし、アンディー、ジョニー、ジョンソン、モハメド、キャンベル。日本も変わったな。

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スタッフ全体にメールをGmailで送った。
最初に送るメールで緊張した。
本メールの目的:
TABIPPO2015の開催背景の共有と理解
▼目次
1.はじめに
2.背景共有
3.世界一周が実現するコンテストwiz TABIPPOあらため、世界一周したい人の夢を叶えるTABIPPO 世界一周コンテストDREAMについて
4.世界一周した人が旅を伝えるTABIPPO 世界一周コンテストWORLDについて
5.最後に
付録.僕のお話
少し固すぎたかなー。

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11月9日
東京合宿。Worldのメンバーに言いよられる。
WEBに掲載する表記を変えて下さい。
賞金10万円じゃ無くて、「行けなかったあの場所に、再会を約束したあの人に会いに行って欲しい」というメッセージを込めて、賞金10万円を贈呈致します。
にして下さいって。
いいメッセージだけど、言ってくるの、遅すぎだよ。。
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11月10日。
WEBリリースがずれ込む。みんな必死に待機して、待機して、待機して、TABIPPO2015のサイトがリリースされた。これから、コンテスト開始!と思ったら、サーバーが落ちた。じょんそんと一緒に恵比寿のバーに行った。

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福岡の副代表が辞めた。めちゃくちゃショックだった。メンバーが去る事は本当に悲しい。そして、申し訳ない気持で一杯になる。福岡は、こーたに掛ける負担が多くなる。。

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福岡IN。しみなおと一緒にTABPPOの話や自己紹介をする。TABIPPO2011の最初の雰囲気を思い出す。ただ、TABIPPOが遠い所にある事を感じる。もっともっとコミュニケーションを取らなくちゃ。

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11月28日
大阪に行って、初めて大阪メンバーと会う。最初の歓迎会で、ビンタされるし、脇を男に舐められるし、各都市色々なカラーがあっていいなー。って、良く無いわ!
大阪のMTGのレベルの高さに感動する。たくやとかねが本当に凄い!ほのかもなんか、怖い。

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広報が中々動けず、塁に色々と相談をする。

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12月18日。
コンテスト期間を延長した。
まだまだやりきれていない事があった。ただ、最初に決めた期限を変更する事は悔しい。もっともっとやりきれた。反省。

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1月1日。
2015年です。僕らに取って激動の2014年が終わり、そして、2015年が始まりました。
これから、東京には20日まで戻らない。滋賀→大阪→福岡→大阪→東京の予定。
東京のメンバーと会えなくなるのが寂しいなー。

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1月2日
大阪主催の全都市合宿。雪降り積もる滋賀のマキノ。人生でこれから、絶対に来ないだろうマキノ。
超楽しかった。大阪チーム凄いな。

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コンテスト締め切る。
さあ。ただ、正月からエンジンがあまりかかっていない。焦る。

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大阪Dream&World面接
めちゃくちゃよかった!やなり変なやつは多い。良い意味で。コーラを飲み出すやつ。プレゼン資料が無いやつ。プロのローラースケーター。コンテストが成功すると確信した。

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東京Dream&World面接
東京もめちゃくちゃよかった!選べない位、めちゃくちゃよかった。ラーメン野郎がいたり、コーヒーを作るやつ、一輪車の世界チャンピオン、顔にケチャップを塗りながらプレゼンをする子。色々と度肝を抜かれた。

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東京MTGに久しぶりに参加。
集客がどの都市より上手く言っている。コンテンツも詰まってきてる。
おかゆが色々と凄い。ほんと宇宙人。

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2015年1月30日
大阪から日直が回ってきました。現在、福岡にいます。全都市30日を切っている。
これからの毎日が、本当に大切になってくる。と言っても1日24時間という事実は変わらない。
だけれども、僕らに取ってはこれから、もの凄く貴重な貴重な時間になる。

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2015年1月31日
まだまだいいコンテンツを作れる。
丁寧に詰めて行こう。
本当にこれでお客さんは満足するのか?
考えきれているのか?
来たお客さんが、ココロ踊る姿を想像出来る?

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2015年2月
夢中でやれてる?
本気でやれてる?
自問自答。
目をつぶって、本番を想像出来る?
後悔なんて、絶対したくない。


気が付くと、隣でタバコを吸っていた女も居なくなり、店内には僕一人だけになっていた。
人生なんて、楽しむためにあるんだろ。
志を持って
友を持って
自由を生きろよ。
旅しなよ。

マスターはそんな歌を口ずさんでいた。
僕は、日記の最後のページをはぐった。


◎2015年2月17日,19日,24日を振り返る
肌寒い日が続きますね。

今でもあの日の事を思い出す。
今でも、忘れる事が出来ないイベント当日。
そして、それまでの忘れられない思い出。
皆はどんな日記を書いていたんだろう。
本番までの日記をいつか読ませてよ。
夢中で走ったあの日々は、いつまでも忘れないよ。

終わり


グアテマラ アンティグア ホームステイとスペイン語学習日記

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【知らぬ個室、知らぬ家族と扉】

ゆらゆらと漂う水に、感情があるのかどうか知らぬ。
どこかから、ぽたりぽたりと、音を立てて落ちるそれに手を伸ばす。
それに触れている際には、なんの感覚も無くしばらくの時が経つ。
言葉になる前の、でたらめな感情が動き出す。
気付くと水の音に包まれていた。

これは、中米グアテマラでの6週間程の生活を記録したものである。

■【日記】始まりの日
日本の、暑い夏の終わりに出国してから、7ヶ月近くが経つ。日本では、秋、冬が過ぎ、桜が咲き始める時期に差し掛かった頃だろうか。これだけ、長く日本から離れた事は始めてであるから、少しは日本の事が恋しくなるのだろうかと思ったが、今の所まだ無いようだ。「日本の事を寂しいと思わない?」と聞かれ、「いいえ」と答えている内に何だが、薄情な奴に思えてきたので、こんなに遠くに来ているけれど、自分一人で生きていける男だと見せたいのかも知れない、と考えている。ただ、寂しいと思ってしまったら、旅を続ける事なんて出来ない事を知っている。そうでなくても、僕は寂しがりやで、一人暮らしが嫌いなくらいだ。

寂しがりが関係しているのかは分からないが、旅中、ふとした瞬間に、日本の友達が頭の中によぎって、連絡をしてしまう事がある。大体、その後に後悔をする事になる。連絡をすればする程、かえってその人の事を思い出してしまい、よけいに寂しくなるからだ。終わりの無い旅では無いのだから、あと少し待って日本に帰国さえすれば、いくらでも話す事が可能なのに、なんだかこの時を逃したらいけない、或は永遠に帰る事が無くなってしまうのではないかと錯覚に陥る時がある。それは、どこか知らない砂漠の真ん中で目覚めたような気分に近い。多分、そんな事等無いのだが。

そんな寂しさを感じさせない陽気な南米に入ったのは1月の末で、ブラジルからビールを握りしめながら北上し、ボリビア、コロンビアを経て、中米のグアテマラへと向かった。中米で話されている言語も南米と同じく、スペイン語である。オラ!チャオ!グラシアス!グアテマラは物価が安く、スペイン語の訛りの少ないと言われており、多くの外国人がスペイン語を勉強する場所として人気となっているようである。そのグアテマラの中に、アンティグアという場所がある。スペイン語で「昔の」という意味であるアンティグア。古都アンティグアに僕もスペイン語の勉強のためにやって来たのだ。

4月。空は青い。町中は穏やかで、公園の中でバレーボールの練習をしている人がちらほらといる。綺麗な鮮やかな色をした家を眺める事ができ、地面はぼこぼことした石畳が敷かれている。家の壁には色とりどりの花が飾られている。小鳥の囀りを聞きながら、香りの良いグアテマラのコーヒーを飲む絵がなんとも似合う。町の中心にある公園には、緑が多く、現地の人々は可愛らしい民族衣装を纏い、笑顔で歩いている。小さなアイスクリームの屋台や、フルーツを売っている人が少し暑そうにぱたぱたと手を仰いでいる。古都アンティグアは、昔から流れる時がゆっくりと流れる川のように刻まれているかのようである。

ここアンティグアでは、スペイン語の学校に通いながら、ホームステイをする人が多い。ホームステイ。文字通り、家に住むという事。それも、自分の家族でない他の誰かの家に、である。その感覚はどのようなものなのだろうかと、興味があった。

地元で18年間、高校まで実家で育ち、大学から上京。それからは、地元には正月やお盆に帰るようになった。地元では、家庭の都合で僕は2つの家族の中で育った。そして、東京では9人での共同生活で過ごしていた。一緒に住む人によって、家の中の雰囲気は変わるし、「自分がどうあるか」という事も変わる事を知っている。「家族」という言葉は、一番身近にある言葉であると思うし、多分、どんな人も必ず持っていて、大切な存在に違い無い。ただ、なんと言っていいのだろうか。僕は、まだ何か大切な事を見逃しているような気がしていた。そんな、大切な場所で一緒に時間を共にさせて貰える、このホームステイに惹かれていたのである。

学校から貰ったリストを元に、いくつかお宅訪問を終え、僕はアスンシオン家という場所に決めた。近くに山があり、街の中心からは少し外れた場所にある。祖父祖母、父母、子供2人。受け入れ生徒は、僕一人だけだったので、家族の中にどっぷりと浸かる形になる。スペイン語が現在、全く話せないので、不安も勿論あるのだが、楽しみである。

家の玄関を開けると、左手に一部屋ががらんと空いているのが見える。おばあちゃんに案内され、ここの部屋をどうぞと通される。この旅で、個室に泊まるのは中々無いので少し新鮮だった。と同時に、別の違和感があるのだ。僕が知る限り、【僕の個室】は実家にしか無い。それなのに、これからはこの知らない個室で僕は生活をする事になるのである。

【知らぬ個室と知らぬ家族の中で】

それは、まるで自分の名字が変わり、帰る家も変わった時の感覚に近かったかも知れない。その扉を開けた先に広がる景色は、なんだか少し現実を曖昧に感じさせた。

初日、部屋について荷物の整理をする。これから1ヶ月程お世話になる部屋をぐるぐると歩き、窓を開け机に座ったり立ったり動き回る。しばらくして、お昼を向かえ、「みち!」と名前を呼ばれた。ダイニングの扉を開け、食卓のテーブルに座る。僕は、緊張しながから、ダイニングの部屋を見渡す。左に見えるキッチンでおばあちゃんが料理をしていて、おじいちゃんは僕の隣に座っている。他の皆は、仕事だったり学校だったりでいなく、3人で食べるようだ。おばあちゃんは、笑いながら僕を見て何かを話してくれて、とても陽気だ。そして、おじいちゃんもなにやら、楽しそうに笑っている。こちらもつられて一緒に笑っていた。何も言っている事は分からないが、居心地の良い空間だ。

朝6時半。扉の音で大体目が覚める。子供の【リケ】と【セバスチャン】が、学校に行く時間である。おばあちゃんは、彼らを学校まで見送ってから、僕の朝ご飯の準備をし、大体7時頃に「みち!」と大きい声で僕を起こしてくれる。呼ばれた後に、僕は部屋の中で大きく伸びをしてから、のろのろとダイニングへと向かう。「おはよう!昨日はよく眠れた?」「おはよう!よく眠れたよ」なんて会話をして、朝ご飯を食べてから、学校に通い、昼ご飯を食べるために一度戻り、また学校に行く。そして、夜にまた家へと帰ってくる。こんな生活が始まった。

なんだか、ホームステイというのは、緊張をするのかと思ったが、そんな緊張をする余裕も無い程、溶け込めたように思える。というより、話す事に必死だったのだが。食事の時には、おばあちゃんが、「学校はどうだった?」と聞いてくるので、ノートを開きながら今日習った動詞の復習が始まる。おじいちゃんとおばあちゃんが作った例文を僕もなんとなく繰り返す。その光景は少し、子供達にとっては不思議そうに見えるようで、彼らは僕をじっと見つめていた。まるで、猫が今まで見た事も無い人間を見ているかのように。その静かな子供達に、僕も積極的に話しかけるのだが、中々話を続ける事が勿論できるはずもなく、その沈黙がまた戻ってくる。ただ、おばあちゃんとおじいちゃんは、そんな沈黙とは別に、僕と積極的に話してくれる。そして、何かに笑う。そんな日々が続いた。

アスンシオンのおばあちゃんの料理は美味しかった。グアテマラの料理がなんであるのか、あまり詳しくないのだが、いつの日も食事は楽しみだった。おばあちゃんは、料理が好きなようで、毎日違う料理を作るようにしているらしい。
「料理は好きなの?」と僕が聞くと、
「ははは。料理は好きだよ。NYで家事手伝いの仕事をしてた事もあるよ。ははは」と陽気なおばあちゃん。食事中、大体肉料理から先に手を付け、野菜を後で少しずつ食べていると、「はっはっは。野菜が嫌いなのかい?」なんて、笑っている。野菜が嫌いな訳ではなく、好きな順に食べていると大体そうなってしまうのだ。
そして、
「みちは、野菜が嫌い」と僕に言って来るので、
「NO!野菜は好き!me gusta!」といつも笑いながら答える。この食事を一緒に食べる事で、彼らの空間に少しずつ入っていける。

寝る前には、2人の子供も「みち。お休み!また明日。」なんて言ってくれる。こちらも、「Buenas noches!」と手を振りながら、自分の部屋に戻る。

通っている学校も楽しい。学校では、全てスペイン語で行われる。新しい語学に手を付けるのは、中学で勉強を始めた英語以来だろうか。中学の英語の授業とは違い、目の前にはグアテマラの先生が座っているのだが、【本格的な】語学勉強だ。マンツーマンの授業であるため、勿論僕が話さないと授業は進まないし、喉も乾かない。先生は、日本語は勿論、英語も殆ど話せないため、分からぬときは、絵を書いてもらったり、ジェスチャーをしてもらったりする。最後の手段では、辞書も引くのだが。全く勉強もした事が無い言語の0からスタート。文法も単語も知らない。耳で音を聞いて、オウムのように繰り返して発音をする。ただ、英語と違い、動詞が主語に依って変化するので、そのままオウム返しできないのだが。現在系の動詞から始まり、不規則に変化する動詞、そして、過去形へと進んで行く。ただ、過去形がなぜか2つあるのだが。

アンティグアに来て3週目に突入した。相変わらず、まだ家族との会話と言う名の、アスンシオンの家族の質問に対して、僕が少し答えるというスタンスは変わらない。最近では、2人の子供も僕に話しかけてくれるのだが、やはり何を言っているか分からない。相変わらず、おばあちゃんは、僕に親切で大声で話してくれるし、おじいちゃんの滑舌の悪い言葉は聞き取れないのだが、食器の名前を一緒に言ったり、野菜の名前を一緒に言ったりして練習をする。みんなで一緒に箸の持ち方の練習をしたりして、なんとかコミュニケーションを取る。やはり、新しい言語を覚えて話すというのは、中々大変である。

そんな、ある夕食の時、小学校に通っている「リケ」が食事中にずっとケラケラと笑っている。それに釣られたように、もう一人の子供「セバスチャン」も笑っている。それも、なんかか僕を見ながら笑っているのだ。この時、彼らが何についてずっと笑っていたのかは分からないが、彼らはおばあちゃんやおじいちゃんに怒られていた。この雰囲気が数日続き、少し悲しくなってしまった。これは、コミュニケーションではなく、一方通行のそれはテレビを見ている人の反応に近かったと思う。この食卓の向こうが遠く感じた。やはり、言葉が分からないというのは、辛いのである。

しばらくして、なんだか分からないのだが、疲れた日々が続いていた。中々スペイン語が上達しなく、少し辛いというのはあるのかもしれない。旅に出て来てから長いので、疲れがあったのかもしれない。と言い訳をしても、地球の自転の向きが変わる訳でもなく、何かが変わる訳ではないので、何気なく日記帳をパラパラと捲ってみた。

【スペイン語を勉強する理由】

・中南米がかっこよさそう
・陽気な人達と会話してみたい
・英語と似ているから、覚えるのが簡単そう。

というあまり良くも分からぬ興味から始めているので、その過去の自分の適当な感覚に笑いながら、今はとりあえず、家族と会話するためという理由にしておこう、と決めた。少し出来るようになってから、もう少しかっこ好い理由でも付けてみようではないか。アンティグアの楽器店で購入した、太鼓を家の近くの公園で叩きながら、綺麗な空を眺めた。目を閉じながら、ブラジルで習ったリズムを思い出しながら、太鼓を叩く。タカラタカラタカ。語彙を増やして、先生と話して、家族と話して、太鼓叩いて。これを地道に繰り返すのみ。

ある休日、近くのカフェに行こうとした時、ずっと向こうにアスンシオンのおじいちゃんとおばあちゃんが見えた。手を組みながら、歩いているのである。おじいちゃん87歳。おばあちゃん76歳。おじいちゃんは、すっと背筋を伸ばし、少しおばあちゃんが寄りかかるようにしている。そして、僕に気が付き、「みち!」なんて、手を振ってくれた。毎週、休日の朝にメサ(キリスト教のお祈り)に出かけているのだが、なんとも微笑ましい光景だった。そして、家に帰ると2人の子供リケとセバスチャンは「おばあちゃん」と言いながら、抱きついている。この光景を見た瞬間、体の中を風が駆け巡るような感覚に陥った。この家族に導かれた理由が分かったような気がした。

ここ、グアテマラでは、彼らの中心に紛れもなく「家族」がある。家族の周りに、仕事や友達があるのだろう。そんな大切な「中心」をこのように、僕は幾度となくはっきりと見る事が出来た。そして、僕もここにいながらその優しさを受けた。些細な事を話しかけてくれるだけでいい。その小さな事から小さな愛情を感じるのである。彼らは、みんなで家族であるのだ。

グアテマラは雨期に入った。一日一回は、雨が降る。雨の影響なのかは知らぬが、停電も時々起こる。暗くなった部屋で、ろうそくの光に照らされたご飯を食べる事にも慣れた。2人の子供リケとセバスチャンとも打ち解けてきて、これから始まるブラジルW杯の選手の話をしたりする。そして、ここに来てから、5週間が経っている事に気付く。それは、来週の今頃には、もうここを出発する事を意味していた。実感が無い。いや、ただ考えたく無くなかった。この居心地の良い、ここを離れる事が。せっかく、彼らの中心を覗け、そこに僕も近づいている最中であるのに。

次の場所までの移動のチケットを取る事は、ぼんやりとしたそれを現実にする。パソコンを開けて、決定のボタンを押すのが重い。この購入のボタンを押すと、急に目の前に出口が現れるのだ。くっきりと。今まで、まるで無限に広がっているかのように感じていた空間に突如はっきりとした扉が見えるようになる。一度現れた扉が近づいてくるのか、僕が近寄っているのかは知らぬが。この終わりの扉を見る事は旅で何度もあったが、いつだって嫌だった。

そして、1週間は静かに経った。いつも通り起きて、学校に行って、食事を家族と一緒に食べた。アスンシオンの家族もいつも通り、おばあちゃんの大声と子供のW杯の話しと、僕へとのお休みの挨拶で日々は流れた。学校も最終日を迎え、町を少し散歩した後、僕は家族へのプレゼントを買って、最後の夜を過ごした。みんなで一緒にケーキを食べ、22時頃、いつものようにベットに横になった。

初日、不思議な感覚を覚えたこの部屋も今では、僕の部屋の一つのように思える。良い家族に恵まれた。とにかく、優しく迎えて貰えた。色々な事を思い出している中に、いつの間にか眠ってしまっていた。

翌日、日が昇り部屋が明るくなる。そして、おばあちゃんの声が聞こえる。

「みち!」

この声を聞くのはこれが最後なのだ。
もう一度、名前を呼ばれるまで、なんとなく部屋のベットに座っていた。

「みち!朝ご飯だよ!」

そして、リビングの扉を開けた。

■追記 終わりの日の始まり
ドアから入り込む光がいつもより眩しい。中米グアテマラでホームステイ先の最後の朝ご飯で、マンゴーとメロンを食べようとしていると、目から零れ落ちるそれが頬をするりとつたり、そのままダイニングのテーブルの上へとぽたりぽたりと落ちる。濡れた目を必死に拭いながら、マンゴーの皮を剥いて、いつもよりも余計にナイフで切れ目を入れる。口に入れても味などしなかった。少しの塩気を感じただけだった。そして、顔を上げると目の前のおばあちゃんが、やはり僕をじっと見つめてくれるのだ。日本から来たこのただの一人の若者に対して、何もスペイン語を話せない旅人に、どうしてこのように接してくれるのだろうか。感情に支配されると、言葉を上手く使えない。言葉を必死に絞り出そうと必死に喉に力を入れた。必死に。

終わり


サルバドール ナタカトシア太鼓日記

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2014年。1月の下旬。
僕は、エジプトのダハブに着いた。スペイン巡礼が終わり、心の中は波音を立てる事を忘れてしまった海のようだった。岬で海を眺めながら、太陽の昇り沈みを見る日々が続いた。旅をしていると、海の中にいる何かに惹かれて、水を蹴散らしながら進む激動の時と、それを終えた静かな状態との繰り返しが僕の中にはある。経験を比較する事なんて、まるで無意味な事だと沈みゆく太陽は教えてくれるのだが、次にやる事はスペイン巡礼とは、また違った匂いのする何かをしようと思っている訳である。それを探している内に、見えなかった月が徐々に満ちて来て、日々何かしらが僕の周りで変わっている。今、何をしても良い状況、つまり自由の世界にいるのだが、この世界にいると、無限に思える程の選択肢の中から、何かを選ばなくて行けない。自由の中で暴れなくてはいけぬ。自分の中に選択肢の優劣が見えていないと、せっかくの自由の世界にいながら、ここを流れる惰性に従って動いている感覚に陥る。自分で踏み込んだ理想郷にいながら、自分を嫌悪させる。とはいうものの、中々自分の中に優劣のものさしを持つ事は難しい訳なのだが。現在、海外を自分の好きなように移動を続けているのだが、海が突然一つの方向に向けて流れ出し、自分で自分を止められないくらい突き動かされる瞬間がある。それが見つかれば、そこまで必死に泳ぐだけである。

アフリカ縦断を考えていた。期間は、1ヶ月から2ヶ月程。ダハブの宿で既にアフリカを回った人の話を聞きながら、構想を膨らませる。虹色に輝く砂漠。火山。野生の動物。そして、これから南下をするという人を見つけ、一緒にスーダン、エチオピアまでバスで下り、まずはケニアを目指すという、ざっくりした予定を立てた。宿のスタッフに頼み、バスのチケットを買った。出発は、3時間後。受付にバックパックを預け、宿に泊まっている人と今年行われるブラジルのワールドカップやカーニバルの話で盛り上がった。

「ブラジルではリオのカーニバルが有名だけど、サルバドールという街を知ってる?」

「ブラジルのどこ辺り?」

「東だね。海が見える街で、世界遺産の街なんだけど、その街に、日本人だけでチームを組んで、カーニバルに出ている団体があるの」

「ブラジルの本番のカーニバルで叩くの?」

「そうそう。宿に集まって、1ヶ月程ずっと練習をしてから出るの。合宿みたいに。チーム名は、【ナタカ トシア】プロで楽器をやっている人から、素人の人まで集まって、皆本気で練習をしてから出るんだ。私は、去年出たんだけど、本当に楽しかった。そして、一緒に共同生活をするから、仲良くなるし。そうそう。これが去年の動画」

僕は、動画を食い入るように見た。あるチームが、街中で太鼓を持ちながら練り歩いている。動画の先に広がる、迫力が伝わって来た。

「凄いですね」
「一打一打、魂を削るように叩いているの。この動画だと、あまり分からないかもしれないけど。」

出てみたい。本能が叫ぶ。その場で音を聞いてみたい。叩いてみたい。今まで、太鼓等叩いた事は無いが、太鼓を叩くというのは、どんな気持ちなのだろうか。カーニバルに参加する側というのは、どんな感覚なのだろう。心臓の鼓動が早まる。

「今年のカーニバルは、2月の下旬からだから、早い人はもう今頃練習を始めている頃かも。行くなら、絶対に早く行った方がいいよ」
現在、1月の末。ちょうど、一ヶ月前。

直ぐにダハブからブラジルまでのチケットを調べた。値段は安くない。アフリア大陸から、南米まで20時間以上のフライトだ。もし行くなら、一緒にいくはずだった4人の日本人にアフリカを南下する計画から外れる事を伝えねば行けない。非常に悩む。せっかく一緒にメンバーを見つけ、計画を立てたのに。遥か日本から遠い、アフリカ大陸に入ったのに。ダハブの海を眺め、そして目を閉じ、静かに考えた。俺は何がしたいのだ。ある言葉がふと浮かぶ。旅の最初のお祭り、バーニングマンの言葉。

【No Specter】

傍観者であるな。表現をする側でいろと。そっと胸に手を当て、僕はブラジルへ向けた飛行機を購入した。遠い海から感じる強い力に惹かれ、僕は舵を切った。

アルゼンチンのイグアスでブラジルビザを取り、サルバドールまで飛行機で飛んだ。サルバドールの夜遅くの空港は、少し異様な雰囲気だった。目をギラギラとさせた人が多く、少し怖い。空港のインフォメーションで宿の場所を伝えると、
「赤いバスに乗れ」
と言われ、バスとタクシーを乗り継ぎ、1時間程で宿に到着した。

宿の入り口は、鉄の柵がしてある。
「こんばんは!」
ドアの前から、少し緊張しながら、僕は声を出した。そして、少し縮れた長髪を結んだ男の人が入り口に降りて来た。
「どうぞ。」
この人が、日本人チームを纏める、リーダーのなおやさん。ちょいと怖いので形式ばった自己紹介をしながら、階段を上り、宿の受付へ行く。この宿は、なおやさんの宿なので、なお宿と呼ばれている。到着した時、他のメンバーは外出中で今日到着したカップルと、エジプト風美女しおりさんがいるだけだった。部屋の中には、楽器やら、バチやらがチラチラと見える。これから、ついに始まるのである。今まで、一度も音楽をやった事ないので、不安で一杯だが、出来るだけやろうと誓う。そして、この日の夜、偶然にも街で他のチームが太鼓を叩くというので、街まで足を運んだ。

サルバドールの街は熱気に満ちあふれていた。多くの人が音楽に合わせて体を揺らしている。街の中に音楽がしみ込んでいる。小さな子供が楽器を持っていたり、ダンスをしていたりとブラジルの日常をかいま見た。ただ、地面には、多くのオレンジ色のビールの缶が捨ててあったり、ぼこぼことした石畳に坂道が多くあったりと、少し歩き辛い。しばらく歩くと、前方から太鼓の音が聞こえた。細い街の道に太鼓を持った人が隊を組み、歩いている。先頭にいる金髪で刈り込まれたリーダーらしき人の音が激しく散る。それに合わせ、他の音が乗っかる。後ろでは、大きな太鼓をリズムに合わせて上げ下げしながら叩く人がいる。圧巻の演奏だった。そして、こんな日常がこの街には、あるのか。彼らのリズムが僕の体を貫くのが心地いい。その隊は僕の目の前を通り過ぎていく。自分も、この街で太鼓を叩くのか。まだまだ、先が見えぬ。

僕は、本館から少し離れた別館に泊まる事になった。着いた日には、別館の宿のメンバーは僕を合わせて5人だった。
・34歳 イケメン、今後タイ在住予定のおーすけさん
・25歳 独特のトーンで話す、カポエイラリスト たか
・27歳 元気印の名を欲しいがままにする あすか
・45歳 インドを愛する永遠の旅人 ふくさん
・26歳 鼻の形がニンニクに似ていると定評のある自分

みんなにサルバドールのカーニバルになぜ参加しようと思ったのか聞いてみた。

「やっぱり、お祭りに参加できる側だから」

日本ではリオのカーニバルというのが有名だと思うが、勿論外から眺める観光になる。海外で、参加できるお祭りというのは中々聞いた事がない。しかも、ブラジルのカーニバルに参加できるという事で、みな興味を持っているようだ。たかは、4年前のカーニバルに参加して、楽しかったため今回も来ている。あすかも、日本でチームを組んで叩いているらしいのだが、そこでこのなお宿の話題が良くでるようだ。今回は仕事を少し休み、埼玉秩父からこのカーニバルのためだけにやって来た。これから、始まる新しい日常が楽しみである。明日の練習は、朝9時からという事だったので、早めに就寝した。

朝起きると、あすかが朝ご飯を作ってくれている。誰に頼まれた訳でもないのに、なんとも優しく気が利く人だ。シャワーを浴びて、準備をして、みんなで練習をするために本館へと向かった。

僕らの練習は、【バチ練】と呼ばれるものから始まる。
メトロノームの音に合わせて、プラスチックで出来たバチを持って叩くのである。メトロノームが1回鳴る間に1回叩いたり、4回叩いたり、途中でアクセントをつけて叩いたり。
【因に、メトロノームが1回なる間に4回叩く、刻む事を16を刻むと言う。メトロノーム1回を1拍と言い、4拍で1章。1章で16回叩く事になるのだ。】

バチを叩く際に、最初に教えてもらった、注意事項はこんなものだった。
・手首で叩く。腕で叩かない。
・叩く時は、粒を細かくする。叩く時にベチっとした音が鳴らないように。
・力まない

最初、なおやさんが叩くのを見てみんなで一斉に叩く。しばらくしてから、一人ずつ叩くのだが、これが凄い緊張する。みんなで叩いている時は出来ているような気がするのだが、一人でやると無惨なのである。音に集中すると手がおろそかになり、逆も然り。何回か叩いてもダメだと次の人へと回る。これを円になって皆でやっているのだが、自分の番が近づいてくるにつれて、手に汗を握り、心臓の鼓動が聞こえてくる。メトロノームの音が遠く感じる。イメージと体の動きが違う。左手が思ったように動かぬ。何も出来ぬまま、あっと言う間に、初日の午前の練習が終わった。

「このバチ練が全ての基礎になります。頭の中で常に【タカタカタカタカ】と音ならして下さい。16を刻む事が本当に音楽の土台なので、個人で練習をして下さい。」

午後は、別館に戻り、あすかを中心に、バチ練を行った。そう。全ては、このバチ練なのだ。手首を意識し、音を意識し。練習が終わってから、別館のスペースでメトロノームを聞きながら、【タカタカ】とリズムを刻む日々が始まった。一緒の部屋のふくさんは、メトロノームを聞きながら、寝ていたりした。寝ている時にも、メトロノームの音が頭の中に流れる。ピッピッピッピ。こいつは、機械的に音を刻む。人間が、機械になる訓練。訓練という名のものは、大体機械に近づく作業に似ている。

数日して、肌が程よく焼かれた、日本でクラブのイベントを仕切っているHiroさんが入って来た。人と集団行動をする事をあまり好まない、一匹狼のような人だった。入って来て直ぐに、この基礎練、バチ練をする意味が分からないというようだった。

「この、メトロノーム刻んでどういう風に役に立つん?それよりも、太鼓叩いた方が、効率的なんじゃないん?」

僕もこれが基礎になると聞いていたが、どのように役に立つのかは分かっていなかった。確かに、基礎がどのように役立つのかというのは、中々分からない事が多い。ただ、僕のような初心者は、最初の土台を作らないと行けない。自分で判断ができるようになるまでは、誰かに従わねば、前に進めぬ。それまでは、辛抱しなくては。

練習が始まって数日後、宿の地下室で実際に楽器を持った練習が始まる。階段を降りると、そこに防音のクッションが張られた空間がある。腰にベルトを巻き、太鼓をかける。ずっしりと重い。
楽器は4種類。
・なおやさん率いる縦長の楽器  チンバオ
・チームのリズムの要  小太鼓 ヘピニキ
・裏打ちを奏でる  中太鼓 メイヨ
・重低音を出すリズムの柱 大太鼓 フンド

僕は、最初フンドから始めた。メトロノームが鳴るのと同時に音を鳴らす、大切な楽器である。大きなバチを持って太鼓を叩くと、低い音が広がっていくのが分かる。初めておもちゃを与えられたような子供のように、無性に嬉しくなる。太鼓の皮が振動し、その震えが体に伝わるのが心地よい。

この週末、僕らは他のチームと合同練習をする事になった。初日に見た、街中で太鼓を叩いていたあのチームとである。どんな形式で練習をするのかは分からないが、楽しみである。
昼頃に、太鼓チーム「SWING」のオフィスを皆で訪ねた。金髪で刈り込みがしてあるリーダーが僕らを迎えてくれた。そして、すぐさま細い道に出て練習が始まった。彼が叩く音を真似て、僕らは叩く。そして、即興で練り歩きが始まった。このブラジルの街で東洋人だけのチームはもの珍しいのだろう。現地の人や観光客が集まる。ただ、僕らの心境としては、こんな完成に程遠い状態で音を出して、申し訳ないという気持ちで一杯だった。苦笑いをしながら、僕らは歩いた。舗装がまばらな石畳の道は、太鼓を持ちながら歩くと非常に歩き辛い。途中、太鼓を叩く手も痛くなり、少しずつ集中力も切れてきた。途中、観光客が写真を取ってくれというので、僕がそれに応じていると、メンバーから注意される。

「リーダーから目を離すな」

僕ら日本人チームのために、現地チームのリーダーが時間を割いてくれている訳だから、当然だ。この時、まだチームとして太鼓を叩いているという覚悟が足りなかった。この練習が終わってから、地下室でおーすけさんに太鼓の音の出し方を習った。自分の甘さを反省しながら、バチを握り、音出しの練習をした。

次の月曜日、なおやさんから、志望楽器の調査が行われた。この日から、地下室での練習時間を増やし本格的な練習が始まるようだ。
僕は、【小太鼓のヘピニキ】を志望した。合同練習でも一緒に教えてくれたサルバドールの太鼓チームの金髪リーダーの音が鮮明に頭に残っていた。雄々しい獣が手綱を引いているかのように見えた。僕より前入りしている4人と僕とほぼ同時期に来た同室のふくさんとへたれ王子(26歳)の、初心者3人の計7人。初心者の3人にマンツーマンで指導をしてくれる先輩がついた。自分には、ビールを握りしめる元保育士(31歳)

このへピニキという楽器は、16を刻みながら、アクセント【アタック】とそっと叩く【ゴースト】で大体成り立っているようである。必死で、僕ら3人はへピニキの楽譜を写し、練習を始めた。地下室の練習で、早速へピニキとチンバオの合同練習が始まる。だが、僕ら3人は何も刻めない。ただただ、皆が叩くのを見ているだけだった。音に入って行けない。それを見かねたなおやさんが、僕ら3人だけの練習をしてくれた。

最も基礎のサンバという楽曲の【タカラタカラタカ】というリズムを叩く。3人とも個人で練習をしていたはずなのだが、なおやさんの前になるとリズムが全て消え飛んでしまう。初日のバチ練のような緊張感。僕らは誰一人正確に叩けなかった。
「太鼓を叩く前の問題です。基礎がなってないっす」
うな垂れながら、僕ら3人は練習を終えた。各自、個別のペアの先輩から再度叩き方を習う。練習あるのみ。

水曜日。志望楽器の調査の2日後、僕ら3人は、大太鼓のフンド行きを告げられる。へピニキ人生が2日間で終わった。この日が丁度カーニバルの2週間前。各楽器の人数構成をふまえ、なおやさんが下した決断だった。へピへの未練はあるものの、気持ちを切り替えて行かなくてはならぬ。翌日から、フンドとしての練習が始まる。Hiroさんがリーダーになり、ふくさんとへたれ王子達と必死にフンドの叩き方や、リズムを覚える。

練習が行われる地下室は、閉め切ったサウナのように暑い。練習開始してすぐに、汗が太鼓の上に滴る。バチを握る手が汗で濡れ、滑りやすくなる。着ている服で手を拭きながら、必死に叩く。この太鼓を持った練習は楽しかった。自分の楽器の音がする。そして、他の楽器と音が合わさる時には、なんと言えぬ気持ち良さがある。最初は、自分の音を叩くだけで一杯だったのだが、徐々に全体の音が聞こえるようになって来る。ある日、僕は久しぶりに日記を書いた。

サルバドール@なお宿
このサルバドールのカーニバルを何と例えたらいいのだろうか。
上品さ等いらない。荒削りでよい。

荒れた海を踊る船のようである。
その船は波の呼気に揺られながら、進んでいく。

海の上には濃霧が強い。
他の仲間の姿が見えぬ。

ただ、どこからか聞こえてくる音に合わせて
ステップを踏もう

次第に霧が晴れ、空が見える
進むべき海が見える
仲間が見える

そして、海の上には、船を引っ張る人が見える。

僕らは踊る。

そして、空へ向けて飛び出した。
自由だ。

終わり。

フンドのチームにも新しいメンバーが加わり、本番までの日が1週間と少しになった。皆でリズムも覚えて来て、順調に進んでいるかのように思っていた。ある昼、僕らはなおやさんに呼ばれた。

「最近、どうっすか」
皆の少しの沈黙を破り、日本から、このカーニバルのためにサルバドールに来ている、さっちゃんが口を開いた。

「私は、全然ダメだと思っている。皆が何を考えているか分からない。Hiroさんがリーダーをやっているけれど、実際何もいい方向に導いていると思わない。練習が始まる時間も決まっていない。なんとなく集まって、なんとなく始まる。練習の内容も突然変わったり、何をしているのか、正直分からない。そして、それに対して誰も何も言わない。この状況が本当に嫌。」

この時、チームとしてどういう状態なのかという事について、考えていなかった事に気付いた。さっちゃんは、このカーニバルのために日本から来ている訳である。他のメンバーは、世界一周の途中で寄っているという感覚に近かったのかもしれない。さっちゃんと僕らの大きな違いは、モチベーションの差だった。僕らは、現状のこの程度で良いとどこかで思っていた。音を刻める人は、チンバオ、へピ、メイヨに行き、いつのまにかフンドチームはお荷物のように見られるようになっていた。また、あのフンド、音ずれてるよ、と。音を正確に刻める人もいなく、いつの日からか、僕はこの程度でという空気が蔓延していたのかもしれない。そして、この日から、朝練習の前にフンドチームの練習を行う事。練習前と練習後に話し合いをする事を決めた。僕らのフンドがチームとして始まったのは、この日だったのかも知れない。

翌日から、キビキビとした練習が始まる。朝時刻通りに集まり、ミーティングを行う。練習時間、休憩時刻も区切った。そして、僕らだけでは、音がずれているのかどうか分からないため、音大卒の目力の強い、チンバオの【のぶサン】に練習を見てもらうよう心がけた。この日以来、僕の日記帳は、チームの課題とその対策方法をどうするかという事で埋められるようになった。

本番まで1週間を切った、最後の日曜日。また、問題が起こる。練習の開始時刻になっても、メンバーが集まらなかったのだ。別館にいた、ふくさんと僕以外の誰も。翌日の月曜日のミーティングで普段は大人しい、ふくさんが声を荒げた。

「なぜ、昨日他のメンバーは来なかったのか教えてくれよ。全体で、毎日朝練習をする事を決めたじゃないか。」

サッカーをしていたメンバーがいた。宿で寝ていたメンバーがいた。

「本番までもう1週間を切っているのに、自分勝手な行動をするのは正直考えられない。」

正直、僕も日曜日に僕らを結んでいる糸が暗闇の中で音を立てて切れたように感じた。終い。了い。僕らはチームである。各自の楽器を正確に刻むだけでいいという訳でも無い。お互い、コミュニケーションを取りながら、お互いの関係を作り上げて行くものだと、なおやさんが何度も言っていた。しかし、僕らはお金をもらって楽器を演奏するプロフェッショナルな集団では無い。各自の好きで、この宿に集まって練習をしているから、嫌に成る程の練習を強制させる事等できない。この話を切り出す事は中々難しかった。この話をする事で、メンバーに圧力のようなものをかけてしまう事を恐れた。ただ、ふくさんが先陣を切って話してくれたお陰で、何が問題だったのかも分かったし、チームとしてまた前進が出来た気がする。あの時、何も言わない方がもっと問題だった。納得しながら僕らは、少しずつ進む。

衣装の作り込みをしたり、リズムの最終確認をしたりして、カーニバル本番直前となった。僕らの出番は、土、日と火曜日の3回。本番前最後の練習が終わった。あとは、練習でやって来た事をやるだけだ。初日の土曜日は、強い雨だった。衣装に着替え、メイクアップした僕らは、宿で待機をしていた。興奮が止まぬように、始まる前僕らはこの日誕生日の人を祝いながら、気分を高鳴らせた。午後8時。出陣の時が来た。

なお宿の前の通りでなおやさんを最前列に従え、隊を作る。
夜。辺りは、暗い。周りには、まだ人もいなく静かだった。
一瞬の静寂。そして、音が静寂を切る。
音が、外へと広がっていく。開放感がある。
全身が震えてくる。
嬉しさと興奮が飛び出す。
この日のために僕らは練習をしていたんじゃないか。
街中にこの僕らのチーム、ナタカトシアの音を届けたい。

ただ、途中から、音がズレだす。楽器を持ちながらの練り歩きで、いつもより、列が長くなってしまい、前の音が聞こえない。前列と後列で奏でる音がズレる。僕らの隊は、引きちぎられたような列車のように別々に走り出していた。2時間程の演奏を終え、宿へと戻った。本来ならば、みなで祝杯を上げているはずだったが、そんな雰囲気ではなかった。
「こんなはずではなかった」
皆が、そう思った。本番で、舞い上がってしまったのか。周りの音を聞け。隊を小さく纏めよ。コミュニケーションを取れ。そして、隊列の変更と注意事項を皆で徹底して共有した。初日は、不完全燃焼。悔しかったのは、多分僕だけでは無かったはずだ。

2日目、そして最終日と、どんどん音が纏まって、気持ちよく駆け巡るナタカトシアを感じた。皆が笑い、音が弾け、彩り綺麗な興奮が止まらぬ花火のように咲き続けた。最終日、広場から路地に抜ける僕らの最後の場所で、今までの練習を急に思い出し、涙ぐみながら、太鼓を叩いた。持てる力を全て注いで。街中の人も体を揺らしている。そして、練り歩きは最後の楽曲アトゥーンへと変わった。リズムが早い、疾走する音楽だ。気付けば、僕らは街中で人々に囲まれていた。初日の夜に見た、太鼓を叩いている集団を見てから始まった。今、僕らはその演奏側にいる訳だ。あのチームにどれだけ近づけたのは分からないが。街が綺麗だった。一人一人の表情が良く見えた。知らぬ街で見えぬはずの音を通じ、僕らは通った。街の光に照らされた音が、虹色に見えた。アトゥーンのフィナーレが終わった後も拍手は止まらず、アンコールが始まる。そして、僕らはもう一回太鼓を叩き、そして僕らは幸せな馬車のようにその場を駈け去った。

こうして、僕の1ヶ月程の太鼓生活は終わった。カーニバルが終わった後、手は痙攣しかけていて、握り開きをするだけで痛かった。満身創痍という言葉は大袈裟かもしれないが、ただこの痛みは気持ちよかった。リズムを刻めず、何度も悔しい、悲しい思いをした。今となれば、基礎の16を刻む事の大切さを感じる事ができる。深夜、急にメンバーから抜き打ちのバチ練が始まったりした。音がずれていて、何度なおやさんから止められただろうか。音を聞けと何度注意されただろうか。僕らのフンドチームは、他のどのチームより問題の多く、多く話し合いをしたチームだったように思う。ただ、遠いアフリア大陸から太鼓を叩くためにやって来て、よかった。本当に、楽しかった。音楽を自分が奏でる側の喜びを、楽しさを少しは分かった気がする。

カーニバルが終わってから、僕らはしばらくなお宿にいた。
ここを去るのが寂しい。多分、みな同じ思いだったと思う。一緒にいる時間が長ければ長い程、別れるのが辛い事を知っている。

今、地下室の楽器は綺麗に整列している。最初に、フンドチームのhiroさんが去り、いつも皆に笑顔をくれたあすかが去って行った。メンバーが去る時に囲む円が徐々に小さくなって行く。毎朝、朝ご飯を食べる人が減っていく。僕らの演奏は終わったんだ。2014のサルバドールでのナタカトシアは終わったんだ。太鼓を叩いた手の痛みが消え行く。燃えた火で暖まるのも終わりである。別れの時に、皆のどれ程の涙を見たか分からない。今度は、僕がこの街を去る時が来たみたいだ。

タカラタカラタカ。

終わり