バンビエンからバンコク

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 翌日さおりさんはベトナムに向けて出発し、その翌日松之助はバンコクへと向かった。一人取り残された僕は、この静かなバンビエンの街を歩き回った。夜入ったお店で特にする事も無かったので、ふとテレビに目をやると、バレーボールの試合をやっていた。日本対タイランド。お店にいた客も特に何もしゃべらず、見入っていた。久しぶりにみるバレーの試合。昔、スーパー女子高生と言われていた木村選手がもうリーダーのような存在になっていて、時が流れたのを感じる。ただ、結果は日本のストレート負け。少しがっかりしながら、宿に戻ると、宿の気さくな兄ちゃんも「日本頑張ったけどな」なんて僕を励ましてくれた。手すりの無い階段を上って部屋に入り、雨の音と共に眠りについた。
 
 翌日の最後の朝、いつものOthersideレストランに行き、スタッフの皆にお別れをした。最後にもう一度サンドイッチとビアラオを頼む。
「行くのか?」
「これからバンコクに行ってくるよ」
僕はみなと握手をして店を後にした。Jdi’sバーを横切り、Jdiに手を振った。彼は椅子の上で横になりながら僕に手を振ってくれた。
さようなら。そして、ありがとう、バンビエン。不思議な街、バンビエン。

 バンコクへ向けたバスに乗り込み、途中で簡単なラオスの出国手続きと、タイへの入国手続きをする。空港とは違って、電車の手続きは本当に簡易。荷物検査も無し。拍子抜けで、タイへ入国。タイ入国から、バンコクまでは寝台列車だった。寝台列車はなぜだか好き。列車に乗って起きたら、朝になっているというのは、何か特別なように思えるのだ。起きたら、全く知らない世界に連れて行かれるようで。列車の前では、車掌さん達が一列に並んで出発前の準備をしている。その横を通り過ぎ、電車の中に入り込む。2等席は、ファンのみのクーラー無しのタイプ。中に入るも自分の席が見つからない。車内をうろつく、車掌を捕まえて聞いてみた。
「僕の席が見たらないんだけど」
チケットを見た車掌さんは、座席にある上の小さなふくらみを指した。
車掌さんがペンチを持って来て、そこのふくらみにペンチを合わせてまわすと、ふくらみがゆっくりが開き、座席の上に新しい空間ができた。ほらなと言った顔で僕を見て、元に戻す。後1時間後に作りにくるから、それまで待ってろと言われ、近くの席に座る。中々出発しないので、1等席を眺めにいったりして、時間をつぶした。窓の外からは、相変わらずおおい茂った木々が見える。そして、僕らの寝台列車は、静かに動きだした。なんの、汽笛も鳴らさずに。

 電車は、もの凄いゆっくりと動いた。バスで移動しても電車で移動しても同じくらいの時間がかかると言われた理由がなんとなく分かる。乗客は殆ど現地の人のようで、日本人は、僕と向かいのあいさんのみのようだった。バンビエンの途中のバスから一緒に来た。途中でかばんの中からぬいぐるみを取り出して、「こちらが佐々木さんです」なんて丁寧に紹介してくれた。他にもかえるのぬいぐるみも持っていた。少しシャイな人なのかと思いながら話していたのだが、やはりとても不思議。ボリビアパーマのさおりさんもそうだが、ラオスで会う日本人の方はみな不思議。少なくても、旅にぬいぐるみを持ってきた人を見たのは初めてだった。僕の知らない日本から来た、異星人。東南アジアを1ヶ月と今後ドバイ、オマーンあたりを回るようだ。その後も、アフリカに住む、ハシビロコウという鳥についての話を聞いたが、この話もまた僕の生きてきた世界では聞いた事がない単語だった。日本といえども、広い。

 しばらくして、車掌さんが僕らの2階席を作りに来てくれた。他の皆はカーテンをしめ、電車の中には通路だけが見えるのみになった。直ぐに他のみなは、眠りについたようだ。寝静まった電車は、だれもいない廊下のように急に静かになった。線路を走る車輪の音だけが聞こえる。
そして、眠りについた。朝目覚めると外は雨だった。東南アジアに入ってから、雨によくあう。ピンク色のタクシーが町中を走る。バンコクに到着したのだ。殆どの乗客も同じ駅でおりた。駅の近くのカフェ入り、マンゴージュースとパッタイを注文する。僕の隣で陽気な店員が蟹が入った美味しそうなまかないを食べていたので、僕がそれをじっとそれを見つめていると、彼はしょうがないなといった様子で少し分けてくれた。宿の情報を少し調べてから、僕らはバスに乗った。バスの前方にファンのみが回っているタイプのバスだった。この東南アジアの日中をファンのみというのは、少し拷問のような熱さ。バスの中にお金を徴収する男が立っているので、お金を払う。20円程。筆箱より少し大きい金型の缶を開け閉めしながら、一定の音を鳴らし続け、新しい乗客からお金を徴収する。非常に無口な男だった。畑で懸命に農作物を取る農夫のように静かに業務を行う。僕らは、バックパッカーの聖地、カオサンロードを目指していた。彼にどこで降りればいいのか聞いたのだが、彼はただ少し頷き何も返答をくれない。質問が通じているのかどうか不安のまま20分後がたった時、彼がそっと僕らの方を振り向き、頷いた。次の場所で降りろという意味なのだろう。

 降りた場所から10分程歩いた場所にカオサンロードが見えた。多くの店が混在し、様々な匂いが漂う。セブンイレブン、KFC、バーガーキングといった僕らが良く知っている店も沢山見える。子供が適当に並べたようにでたらめにお店が雑多に並び、また人で混合っている。もの凄い静かなラオスから移動してきた僕は、もの凄い刺激的だった。そしてまた、松之助と落ち合った。カオサンでたこ焼きを勿論やったのだが、さすがはカオサン。沢山の飲食物が並ぶこの中で、中々たこ焼きに注目が行かない。全てを焼ききって、一度宿へと戻った。
 夜、僕らはもう一度カオサンロードに繰り出した。僕は、パッピを来て、松之助はドラゴンボールのフリーザのコスチュームで。顔をしっかり白く塗り、アイシャドウも入れた完全の状態。その夜、彼はカオサンロードで完全にヒーローになった。通り過ぎる外人が、もの凄い勢いで「フリーザ!」と言いながら、写真を一緒に取っていいかなんて求めてくるのだから、その光景は完全にスターそのものだった。そして、同時にドラゴンボールの認知度の凄さを知った。

 松之助のように金色の全身タイツを着たり、フリーザの格好をすると外人、現地人かまわず気さくに話しかけてくれる。万人が出来る事ではないが、何か話すきっかけが欲しい人がいるならば、この手法はとてもいいのかもしれない。翌日の朝、松之助がバングラデシュに向けて旅立つというので最後の夜をしっぽりと楽しんだ。ハノイ、ルアンパバーン、バンビエン、そして、バンコクと4カ所で会った。この僕の東南アジア編の旅は、殆ど彼と一緒だったと行っても過言では無い。日本では何の会う約束をしていなかったのにも関わらず、偶然ハノイでメッセージを送ったらたまたま近くに居て、会う事になって。会っている日は、ずっと昼からビールを飲んだ。ラオスのマッサージ店で2人とも股間を触られたりした。男に。また、世界のどこかで会おうなんて思いながら僕らは、別れた。そして、僕はこれからフィリピンのセブ島へ。英語の語学留学。毎朝、5時台の点呼から始まり、夜8時過ぎまで授業があるという超スパルタ学校へと向けて僕は飛行機に乗った。


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