ルアンパパーンにコプチャイライライ

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人は見かけで判断してはいけない。
小さい頃に教えてもらった。

ドミトリーで過ごしている以上、どんな人が入ってくるか分からない。
それが楽しみでもあり、時々悲しい思いをしたりもする。

僕が起きた頃、2人は部屋に居なかった。
どこかでほっとした自分が居た。なんとなく荷物を綺麗にして、下の階へと下る。

外に出ると入れ墨が入った男はたばこを吸っていた。
遠い空を眺めていていた目が、僕の方を向く。
「あ、どうも。一緒の部屋の方ですよね。これから、宜しく御願いします」

気さくな方だった。名前はゆーじさん。第一印象とは大分違うので結構びっくり。
もう一人のボリビアパーマの女の方はさおりさん。挙動不信で何を考えているのは読めない。そして、髪で時々顔が見えない。もの凄い大人しそうなのに、髪の毛だけもの凄い激しいのでとても気になる。

ゆーじさんから、
「今日、ナイトマーケット行こうと思うんですけど、行きます?」
突然、誘われた。はい。行きます。
ゆーじさんとさおりさん。タイで会って、そこからここのラオスまで一緒に旅をしているらしい。ゆーじさんは、全く英語が出来ない。だから、英語ができる誰かと一緒に旅をしないと怖いのだとか。
「日本ではあまり怖い人っていないけど、海外で一人でいる事って本当に怖いよね」
ゆーじさんの発言がギャップがあり過ぎて、少し笑える。

海外になんで来たのか聞いて見た。
「ゆーじさんはなんで海外来たんですか?」
「なんか、タイとかラオス行ったって言ったらカッコいいでしょ。」
とても無邪気な子供よう。さおりさんも横で少し笑っている。

旅をしていると、全く初対面の人と一緒に行動をする事がある。それも結構長い時間。一緒にバスのチケットを買って、お昼を食べて、宿まで歩いたり。思い返せば、ルアンパバーンについた30時間のバスに、日本人の学生が2人乗っていた。彼らは、宿を予約していなく、ついた深夜に暗いバス亭で1晩を過ごそうかと考えていたのかもしれない。僕は、偶然5.5ドル程の安宿を取っていたので、一緒に来ないかと誘ってみた。全く背景が分からない僕についていくのは、結構勇気がいると思うが、彼らは一緒に来てくれた。そして、英語があまり話せないトゥクトゥクのおっちゃんに値段の交渉をしたり、宿のおっちゃんを叩き起こしたり、その夜一緒にヌードルを食べに行ったり。そした、そのうちの一人がTABIPPOのイベントに来てくれていたり。不思議なつながりがあったり、不思議な感情を抱けたり。

ラオスのナイトマーケットは連日、大勢の人で静かに盛り上がっている。夕方の4時頃から、何も無かった道に露店が作られ始め、6時頃にはその道は完全にマーケットと化す。衣類とお酒、そして装飾品が所狭しと道を飾る。僕らも人だかりに誘導されるように、自然と中に吸い込まれて行った。

ラオスのこのルアンパバーンにいる人達は、とても優しく親切な人が多いと感じた。面倒くさい客引きや、タクシーでのぼったくりも殆どない。そして、笑顔が素敵。昼間に親子でギターの練習をしている家の前に勝手に座り込んだ時、お前もやってみるかなんて言われたり。僕はギターなんて全く出来ないので、ビートルズのLet it beをギターをひかず、歌だけ歌ってギターを返したら、親子で笑っていた。なんでも、街全体が世界遺産になっているのだ。街全体が遺産なんて、とても素敵。そして、なんとなく分かる。

街に特に遺跡があるとか、有名なモニュメントがあるという訳でもないのだが、非常に心落ち着く街なのである。先日訪れた、アメリカのタホの街がオアシスだとすれば、ここは古の懐かしさからくる安心感に包まれている。メコン川を眺めながら、読書をしている外人もいたり、ランニングをしている人がいたり。何か大切な事を思い出させてくれる。僕は、祖父と祖母の事を思い出した。最近体調が良くないようなので、少し気になる。宿に帰ったら、連絡をしてみようと思う。余談だが、僕の名前は倫孝。倫理の倫の字に親孝行の孝の字で出来ている。今まで親孝行なんてあまりして来てないし、今回の旅も祖母祖父には黙って来た。親不孝にはならないようにしなくては。

結局ルアンパバーンには1週間程滞在した。特に遠くにも出かけた訳ではない。
この街に少しだけ、住ませてもらった。
居心地が良すぎて。
コプチャイライライ。

そして、次はラオスの中央部にある、マイナーな街、バンビエンを目指す。
ボリビアパーマのさおりさんと偶然一緒のバスで向かった。


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