ルアンパパーンにコプチャイライライ

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人は見かけで判断してはいけない。
小さい頃に教えてもらった。

ドミトリーで過ごしている以上、どんな人が入ってくるか分からない。
それが楽しみでもあり、時々悲しい思いをしたりもする。

僕が起きた頃、2人は部屋に居なかった。
どこかでほっとした自分が居た。なんとなく荷物を綺麗にして、下の階へと下る。

外に出ると入れ墨が入った男はたばこを吸っていた。
遠い空を眺めていていた目が、僕の方を向く。
「あ、どうも。一緒の部屋の方ですよね。これから、宜しく御願いします」

気さくな方だった。名前はゆーじさん。第一印象とは大分違うので結構びっくり。
もう一人のボリビアパーマの女の方はさおりさん。挙動不信で何を考えているのは読めない。そして、髪で時々顔が見えない。もの凄い大人しそうなのに、髪の毛だけもの凄い激しいのでとても気になる。

ゆーじさんから、
「今日、ナイトマーケット行こうと思うんですけど、行きます?」
突然、誘われた。はい。行きます。
ゆーじさんとさおりさん。タイで会って、そこからここのラオスまで一緒に旅をしているらしい。ゆーじさんは、全く英語が出来ない。だから、英語ができる誰かと一緒に旅をしないと怖いのだとか。
「日本ではあまり怖い人っていないけど、海外で一人でいる事って本当に怖いよね」
ゆーじさんの発言がギャップがあり過ぎて、少し笑える。

海外になんで来たのか聞いて見た。
「ゆーじさんはなんで海外来たんですか?」
「なんか、タイとかラオス行ったって言ったらカッコいいでしょ。」
とても無邪気な子供よう。さおりさんも横で少し笑っている。

旅をしていると、全く初対面の人と一緒に行動をする事がある。それも結構長い時間。一緒にバスのチケットを買って、お昼を食べて、宿まで歩いたり。思い返せば、ルアンパバーンについた30時間のバスに、日本人の学生が2人乗っていた。彼らは、宿を予約していなく、ついた深夜に暗いバス亭で1晩を過ごそうかと考えていたのかもしれない。僕は、偶然5.5ドル程の安宿を取っていたので、一緒に来ないかと誘ってみた。全く背景が分からない僕についていくのは、結構勇気がいると思うが、彼らは一緒に来てくれた。そして、英語があまり話せないトゥクトゥクのおっちゃんに値段の交渉をしたり、宿のおっちゃんを叩き起こしたり、その夜一緒にヌードルを食べに行ったり。そした、そのうちの一人がTABIPPOのイベントに来てくれていたり。不思議なつながりがあったり、不思議な感情を抱けたり。

ラオスのナイトマーケットは連日、大勢の人で静かに盛り上がっている。夕方の4時頃から、何も無かった道に露店が作られ始め、6時頃にはその道は完全にマーケットと化す。衣類とお酒、そして装飾品が所狭しと道を飾る。僕らも人だかりに誘導されるように、自然と中に吸い込まれて行った。

ラオスのこのルアンパバーンにいる人達は、とても優しく親切な人が多いと感じた。面倒くさい客引きや、タクシーでのぼったくりも殆どない。そして、笑顔が素敵。昼間に親子でギターの練習をしている家の前に勝手に座り込んだ時、お前もやってみるかなんて言われたり。僕はギターなんて全く出来ないので、ビートルズのLet it beをギターをひかず、歌だけ歌ってギターを返したら、親子で笑っていた。なんでも、街全体が世界遺産になっているのだ。街全体が遺産なんて、とても素敵。そして、なんとなく分かる。

街に特に遺跡があるとか、有名なモニュメントがあるという訳でもないのだが、非常に心落ち着く街なのである。先日訪れた、アメリカのタホの街がオアシスだとすれば、ここは古の懐かしさからくる安心感に包まれている。メコン川を眺めながら、読書をしている外人もいたり、ランニングをしている人がいたり。何か大切な事を思い出させてくれる。僕は、祖父と祖母の事を思い出した。最近体調が良くないようなので、少し気になる。宿に帰ったら、連絡をしてみようと思う。余談だが、僕の名前は倫孝。倫理の倫の字に親孝行の孝の字で出来ている。今まで親孝行なんてあまりして来てないし、今回の旅も祖母祖父には黙って来た。親不孝にはならないようにしなくては。

結局ルアンパバーンには1週間程滞在した。特に遠くにも出かけた訳ではない。
この街に少しだけ、住ませてもらった。
居心地が良すぎて。
コプチャイライライ。

そして、次はラオスの中央部にある、マイナーな街、バンビエンを目指す。
ボリビアパーマのさおりさんと偶然一緒のバスで向かった。


ルアンパバーン

ラオラオとは、ラオスの有名な地酒らしく、アルコール度数は50度程。
昨日、松之助はこの酒が原因で記憶を飛ばしたらしい。なんでも、このラオスの地ではポリバケツみたいのものに入っているらしい。

「また、やつらがおる」
松之助は昨日絡んだラオス人を発見し、彼らに近づいていく。
男5人で、きたないテーブルを囲い、何かを飲んでいる。

「あれが、ラオラオや」
彼らと目が会った。そして、男達が僕らを手招きする。
既に目が据わっている。午後3時。

僕らは、座るなりショットグラスに透明な液体を注がれる。
【世の中で透明な液体は非常に危険である。】
これは、僕が大学時代に学んだ事だ。

【透明な液体は匂いを嗅いではいけない。
匂いはグラスからお前を遠ざけるが、目の前のグラスを避ける事は出来ない。】
これも大学で学んだ。

その禁忌事項を犯し、匂いを嗅いだ。

ガソリンのような匂いがする。

一瞬どころか、数秒これが飲み物かどうか疑った。
果物の王様ドリアンも匂いは強烈だ。ただ、味が奴を王様にしている。

5人の男は、じっと僕らを見つめる。
前門にラオス人5人。後門には、僕のプライド。

腕を曲げ、口の中に注ぎ込む。

まずい。
言葉にし辛いが、まずい。
田畑で、水の変わりにラオラオをまいたら、世の中の果物の全てが腐る気がする。世の中の終末を容易に想像できる味だった。

これをラオス人は飲んでいるのかと思うと、少し頭が痛い。
なぜか松之助もラオラオが好きなようだったので、同様疑いの目を向けた。

この5人の集団は、僕がルアンパバーンに滞在している間中、ずっと同じ場所でラオラオを飲み続けていた。ラオラオの地縛霊だったのかもしれない。

ラオスを散歩していると、女の人が働いていて、男があまり仕事をしないと行った印象を受けた。その最たる例が、こちらのラオラオの地縛霊達である。

夜は、ナイトマーケットの近くで10,000キープ※約100円で一皿に好きな料理をもり放題のお店で食し、アジアで最も美味しいとされるBeerLaoを飲んだ。
あいつと違って、本当に美味しい。ありがとう。BeerLao。
感謝をしながら、宿に戻った。

朝方、一人だった、僕のドミトリーがそっと開いた。部屋に全身入れ墨が入った男と、パーマで顔が見えなくなった女が一緒が入って来た。3人用のドミトリーなので、逃げ場は無い僕は、必ず挨拶をしなくてはいけない。朝、ベットの中でずっと寝たふりをしていた。この2人も来てからずっと寝ている。旅での疲れなのか、別の事で疲れているのか。

また、新しい一日が始まる。


ラオス_ルアンパバーン

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ルアンパバーン。朝、目覚めて道に出た。家はひっそりと佇み、動物ものっそりと歩いている。
大きく深呼吸し、空を見上げる。
空は青く暖かく、空気は気持ちいい。

なぜだか、一瞬で僕はこの街が好きになった。何か特別な事があったわけではない。すっと街の雰囲気が体に入り込んでいく。

しばらくして、たこ焼きの松之助が現れた。
「メコン川を眺めながら、ビールでも飲もうや」

最高。この東南アジアの暖かさには、ビールが合う。
僕は、バスで30時間程かかった話を愚痴りながら、メコン川近くの屋台へと入る。カウンターに座った。

「日本人ですか?」

ふと隣の人から声をかけられる。
僕は青いハッピ、松之助は浴衣を着ているのでどこからどう見ても日本人に見えたと思う。

声の主は、まみさん。20代前半に渡米。アメリカにいた友人が引っ越しの関係で、家が空き、借り手を探していたため、渡米したのだとか。当時、英語は全く話せない状態で。その後、ワーキングホリディ等しつつ、現在は旅中との事。うん。凄いわ。なんか非常に生きてる!って感じがする強い女性の方だった。

まみさんと別れた後、メコン川の対岸まで船で渡った。
小さい船で家族連れで経営しているようだ。
「サバエディー」
いつの時間でも使える、ラオス語の挨拶。
僕らが挨拶をすると、みな笑顔で挨拶してくれる。
こういう国はとても好き。日本に帰ったら、挨拶には気を付けたい。

5分くらいで対岸到着。
川岸を少し登ると、屋台が少し並ぶ。
魚、チキンが美味しそうに焼かれている。
今日の夜ご飯にと思いながら、その場を立ち去る。

この対岸側は観光客がほとんど居なく、ラオスの人々だけが暮らしている地のようだ。子供が道中で遊びあっている。非常に長閑。

さらに、奥に進んでいくと田んぼが広がる。
あぜ道をひたすら歩き、田んぼの真ん中にある家を訪問。

「サバエディー」
返答が無い。

中をこっそり覗くと、鶏小屋だった。
こんな田んぼの真ん中に鶏小屋立てるん?という突っ込みを入れながら、来た道を戻る。

鶏の少しふ化しかけた卵なんかを食べながら歩いた。
道中、松之助がふと
「あ。スーパーマリオブラザーズや」
と呟く。
目の前の家の中で、少年5人くらいがゲームをしている。

僕らは勝手にお邪魔しその少年らの輪に加わる。
途中お父さんも現れたが、特に僕らが気になっていない様子。
外人2人が突然家の中にいたら、少しは驚くと思うが、そんな事が無いのでしょうか。

コントローラーの操作方法を教えて貰いながら、いざ自分のターン。
親しみなれた、日本産の超有名ゲーム。

即死。クッパの面で火の粉にやられる。

笑いながら、少年らにコントローラーを返した。
外が豪雨になってきたので、しばらくその家にお邪魔した後、宿に戻る。
そして、ラオスの有名の酒「ラオラオ」を探しに出た。


ハノイからラオスへ

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ベトナムの最終日、僕は町中をふらふらと歩き、バスの出発を待った。バイバイ。笑わない国、ベトナム。

次に向かうは、ラオス。正直、ラオスのイメージは殆ど無い。世界地図でどこあるのすら怪しい。数年前に訪れた、ミャンマーに似たような東南アジアの中でも観光地としては、どちらかと言えばマイナーで、素朴な人がいるという印象。

そして、恵比寿ハウスの「けんいち」が象使いの資格を取りに訪れた場所。なんでも象使いというのは、国際免許らしい。ただ、日本のどの場所でも使う所は無いと思うが、彼が目を輝かせて「僕は象使い」と言っていたのが、懐かしい。ラオス北部にある、ルアンパバーンを目指した。この街の名前の響きが面白く、それだけで向かう気になった。街の名前も少しは重要なのかもしれない。

ハノイの国際バスステーションへ向かうミニバスの中には人で溢れ返り、立ちの人がでる程混合う。ラオスは案外人気なのか?

「どこから来たんだ?」
「日本だよ」
「ムラカミって知ってるか?」
どちらの村上さんが存知上げないが、
「作家の?」
「そうだ。ハルキ ムラカミ。彼の小説が好きだ」
とドイツ人に話しかけられる。

丁度、彼の処女作「風の歌を聴け」を持っていたので、カバンの中から取り出し、見せるととても嬉しそうな目をしていた。海外でも翻訳されていると聞いていたが、実際に海外で読んでいる人を初めて見た。その後、ラオスの雑貨屋でもHaruki Murakamiを何冊か見かけた。やはり、母国のものを海外で見かけてたり、ほめられたりするのは嬉しい。

寝台バスに乗り込んだ。時刻は夜20時頃。これから、24時間程バスに揺られるらしい。長いと思いつつ、目を閉じる。

朝、起床しベトナムとラオスのイミグレーションに到着。
パスポートを回収され、直ぐに返却された。顔の確認等全くなかったが良かったのだろうか。非常に簡易。
「ビザが無いから、15日以内で出てね」
他の国の人はビザの申請等をしており、1時間程バスで待機。

バスは、山中を走り続けた。ずっと変わらぬ景色と変わらぬバスのエンジン音。時々、進んでいるの戻っているのか分からなくなる程。時々古い民家がぽつりぽつりと見える。木と藁で出来たような、古代日本の家のよう。
バスの中では、南アメリカ出身の人達が和気あいあいとしている。輪に入りたいが、スペイン語で「オラ」しか知らない僕は、持ってきたKindleを静かに開く。中々快適。

一度の昼休憩以外、ほぼノンストップ。太陽が沈みかけて来た、6時頃。
バスが止まった。辺りには、何もない。僕らは、みんな一度バスを降りた。運転手が激しく叫んでいる。何を言っているか分からないが、何か確実に怒っている。そして、静かにエンジンが止まった。

乗客の僕らは暢気にみなで写真撮影なんかをして楽しんでいるが、運転手、現地の乗客はバスの鉄板をはがし、整備・修理を必死でする。彼らがバスの後ろから必死に押し、エンジンが久しぶりに鳴る。こんなバスにあとどれくらい乗ればいいのか。少しの不安と恐怖。

危惧していた通り、到着予定時刻の20時頃。まだ、山の中を走り続けている。さすがに、南アメリカ出身の方々も疲労困憊。23時。再度、バスストップ&修理。勘弁して下さい。そして、運転ドライバーまた何か叫んで怒っている。怒りたいのは、僕らの方だ。
そして、深夜2時頃、みなが寝静まったルアンパバーンに到着した。30時間超の長旅。疲労から、到着の歓声すら上がらない。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

この超長時間のバス旅で完璧な絶望について思いを巡らせたよ、春樹さん。


サパのトレッキング

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たこ焼きの松之助と別れ、僕はベトナム北部へのサパという街に向かう。
サパは、ベトナムの中で有数のトレッキングの聖地。

サパに行ったのは、恵比寿ハウスに住む友人「ひろき」の紹介だった。
この「ひろき」は、世界をヒッチハイクで回った、クレイジーボーイだ。
4年生大学に6年間通い、今では、自分の事を「ひろきんぐ」と名乗っている。※ひろき界の王の意味らしい。
正直、キングの要素は見当たらない。
ただ、このサイトを作ってくれたのは彼なので、多大なる感謝をしております。※素敵なサイトですよね!

そんな彼の友達、モン族のリーちゃんがいるからという理由で目指した、サパ。ハノイの地からバスで12時間程。
寝台バスでの移動。4列のベットシートが2階建てに敷かれている。非常に狭い。
ちょっと体の大きな人は確実に詰まるレベル。
僕の隣の席には、ベトナム人女性が座っていた。ちょっと可愛い。偶然同い年。
ハノイ出身で、サパには観光で来ているんだとか。現地の人もサパに来るらしい。
寝台バスの寝心地がよかったらしく、寝起きはぼちぼち。
朝6時に目的地サパへと到着した。

バスを降りると、ゲストハウスのキャッチに囲まれ、逃げるようにして、近くのカフェに入る。
Wifiのパスワードを聞き、適当にネットサーフィン。
この後本当にノープラン。コーラを飲んでいても何も考えが浮かばないので、近くに座っていたカップルに話かける。
「ども!今日って何します?」
「3日間のトレッキングツアーを申し込もうと思ってるの。これから、私の友人から紹介してもらった、現地のツアーガイドから話聞くから、一緒に聞く?」
アメリカ人のポールとメン。これから、3日間、この2人とずっと一緒にいる事に。
しばらくして、サパのツアーガイドToan登場。
めちゃ陽気。そして、無邪気。今まであったベトナム人の中で一番フレンドリー。
「hello. How are you? Hahaha.」
にこっとすると、タバコで黒ずんだ歯が見える。多分、年は30歳くらい。若い。
僕ら3人の予定を伝えると、こなれた様子でツアーを組んでくれた。

彼の家にお邪魔し、準備する。
ここで、初めて日本から持ってきたブーツが役に立つ。
何度も捨てようと思ったんだ。靴ってかさばるし。重たいし。

厚手の靴下を履き、準備万端。

今日の予定を色々聞いたのだが、英語がほどんと分かっていない僕は、なんとなく分かったふりをして、みんなに着いていく。

Sapaの街のダウンタウンは小さい。
そして、街は山に囲まれている。少数民族がその山々に住んでいるとの事。会えるの楽しみ。
歩いていると、鶏や犬、そしてバッファローと遭遇。子供がバッファローに乗っていたり。道ばたに落ちているうんこも非常にでかく、匂いも強烈。
この大自然の中、僕らは、川を渡り、畑のあぜ道を渡り、雨でぬかるんだ坂を上り、朝の10時から夕方6時頃まで歩き続けた。ガイドのToanさん、絶対ドS。「hahaha」とか言いながら、どんどん進んでいく。正直、最後の方、僕ら3人の体力は無く、景色を楽しむ余裕も写真を取る気力も無く、ただただ、今日泊まる宿を・・と思い、足を動かしていた。日が暮れかけているのに、鶏が鳴いている。なんで?
そして、なんとか到着。
今日の宿はこのサパの山中に住んでいる家族の家にお邪魔。
到着時は、電気が落ちていて、中は真っ暗。ただ、こんな山中でも電気はきているんだと少し驚く。

多くの現地料理とお酒を貰う。
ガイドのToanさん。また陽気に攻めて来る。
「hahaha。ベトナムでは、このお酒にハチを入れて飲むんだ」
とか言って、ペットボトル一杯にハチが詰まっているのをかばんから取り出す。
ポール、メン、僕、一同黙る。
そして、笑うベトナム人。ハチは怖いぜ。

ハチが一杯詰まったペットボトルにお酒を入れ、しゃかしゃかと振りだした。
時が少し止まる。
そして、静かに目の前のショットグラスに注がれる。

「ベトナムの乾杯を知ってるか?1、2、3、乾杯だ!いくぞ。1,2,3,乾杯!」
アントニオ猪木を恨んだ。

目をつぶり、静かに飲み干す。
正直、ハチの味は全くしなかったが、その一杯で僕は満足のアピールを大げさにした。
ただ、ポールは、狂ったようにハチの酒を飲み続けていた。
メンと僕は、肩をすぼませ「信じられない」と思いながら目を合わせた。

ここのサパのトレッキングは、きつく、長い。景色は確かに良い。ただ、この暑くじっとりと汗をかく気候が、僕らに疲労を蓄積させる。
僕は、2日目と3日目は体力トレーニングと思いながら歩いた。3日目は、本当に僕らは会話する力すら無かった。
時々、メンがポールに抱きついているのが可愛かった。

2泊3日の過酷なトレッキングツアーは終わり、僕は次ラオスへと向かう。

帰りのバスでfacebookを開いたら、行きのバスで隣に座っていたベトナム人からメッセージが来ていた。
「今夜一緒にご飯食べない?」
そして、一緒にホテルの部屋番号が書かれていていた。
受信時刻は3日前。

ぐっと携帯を握りしめた。


たこ焼き_ハノイ

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ハノイの中心地にある、湖の近くで僕らは待ち合わせ。
全身金色のタイツを来て彼は現れた。
彼の名前は、森田松之助。たこ焼き職人である。

世界一周団体TABIPPOが主催する世界一周コンテストの2013年の覇者。
「世界中、たこ焼きを通じて幸せにするねん」
学生の時から、たこ焼きで起業して、人生たこ焼きの彼のプレゼンは2000人の心を掴み、世界への切符を手にした。

それから、約半年後。彼は、世界へと旅立った。

一週間ずっと降っていた雨が止んだ。
彼は、ベトナム在住の友人「たか」と一緒にいた。学生時代のコンビらしい。

「うわ。めっちゃ荷物多いやんけ。宿に荷物置いてこうへんかったん?
これから、たこ買いに行かないけへんから、ここでちょいと待っててー。」

宿から全ての荷物を持ってきた僕は、バックを置き彼らの買い出しを待つ。
海外でたこ焼きをするのは、勿論僕は初めてなので、胸が高鳴る。

バックの中から、鉄板を出し、カセットコンロの上にセット。
水とモンゴルから買って来た小麦粉を混ぜる。

「このモンゴルの粉が美味しいねん」

嬉しそうに語る、松之助。

熱くなった鉄板に油をしみ込ませ、たこ焼きのもとを入れる。
しばらくすると、美味しそうな音が広がる。

2本の楊枝を握る。
たこ焼きを返す。
くるり、くるりと、鮮やかに回る。
奇麗な黄金色が現れ、
香ばしい匂いが広がる。

ふと、見上げると回りに20人くらいの人だかりが出来ていた。
たこ焼きの威力絶大。

「これ何?」
「日本の有名な料理でたこ焼きって言うんだ。大阪って分かる?中にはたこが入っていて、外はさくっと中はトロトロしていて非常に美味しいよ」

おばあさんから、家族連れの子供までみんな物珍しそうに眺めている。

「出来たでー」

紙コップにたこ焼きを入れて、配る。

みんな不思議なものを見るようにコップを握り、爪楊枝でたこ焼きを差す。そして、口に入れる。

「美味しい!」

「そやろそやろー!」

出来あがったたこ焼きは直ぐに無くなった。
たこ焼きのもとがなくなるまで焼き続けた。

正直、こんなに多くの人が集まると思わなかった。
これ程、現地の人が嬉しそうに興味を持ってくれて、たこ焼きを食べている姿は純粋に嬉しかった。
彼のたこ焼きはこのベトナムで、人々を笑顔にしていた。

ベトナムに来て、雨が続いていて、街の雰囲気は暗く、人は笑わない。
これが、最初のベトナムの印象。

ただ、この日、このたこ焼きを焼いている瞬間、食べている瞬間、みな白い歯を見せながら、笑っていたのが非常に印象的だった。

現地の人が何を話しているのかは分からないが、ただ、楽しそうにしていたというのだけは分かる。

「ベトナムは、ほんまに大盛況やったわ」

彼の語る夢を僕は少し覗けた。

ありがとう、松之助。


ベトナム_ハノイへ

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僕は、じゅんこさんとマイケルに丁寧にお礼を言って、リノの街を後にした。

「受けたお礼なんかは、私たちに返そうなんで思わなくていいの。次の世代の人達に返して貰えたら、私たちはそれだけでいいの」

この言葉を胸に深く刻みながら、次なる地ベトナムハノイを目指す。

ここからは、一人の時間開始。
早速、ジャーナルに今までの出来事や感情を様々書き連ねる。
書きたい事が溢れ、何ページも綴る。
久しぶりに握る、ペンの感触がなんとも気持ちいい。

リノからロサンジェルス行きの飛行機に乗る。4列シートの小さな飛行機だった。
僕の隣には、スイス人の女性が座っていた。
非常に陽気な性格で、スチュワーデスのアナウンスに対して、大声で何かしらの反応をする。
彼女が何か大声で話すと、機内には笑いが溢れる。

機内に大きなハンバーガーを2つと、ポテトチップスを嬉しそうに持ち込み
時々手のひらに隠したタバコを機内で吸っている。勿論、機内に禁煙マークはついているのだが。
いつ注意されるのかドキドキしながら座っている僕を気にせず、のんきに「ポテチを食べる?」なんて言ってくる。
とりあえず、貰っておいた。
話す度にウインクするのがとても、チャーミングで可愛い。

それから、僕は韓国のインチョンを経由し、リノ出国から26時間後、ベトナムの首都、ハノイに到着した。

ハノイの空は、暗かった。天気の影響だからだろうか。あまり気分は高鳴らない。
空港からダウンタウンまで、タクシーで40分程。行く途中、多くの日本企業の工場を見かけた。

非常に狭い路地に、多くのお店が軒連ねる。
タクシーをおり、宿のチェックインを済ませる。

「今日の宿泊者は、君だけだから自由にどのベットを使ってもいいよ」

他のお客さんと宿で交流できないと分かり、少し落ち込む。
1階のちょっとしたバーで、ベトナムのビールを頼み、一人晩酌しながら、日本の家族と恵比寿メンバーに生存連絡。

こちらに来てから、まだ10日間程しか経っていないのに、もの凄く長い間日本を離れているような感じになる。
facebookを眺めていると、7月に旅立った友人がどうやらハノイにいるらしい情報を発見する。

「今、ハノイいるけど、どこいる?」
「ハノイの友人の家にいる。これから、たこ焼きするから湖の近くの噴水前で会おう」

現代の文明の利器を駆使し、僕らはこれから会う事になる。
いとも簡単に。


祭りの後で

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アメリカにて、バーニングマンの祭典を終え、僕らはリノの街に戻ってきた。
街の明かりがまぶしい。

じゅんこさんとマイケルと落ち合い、車の掃除を終え、リノの隣街のタホへと僕らは向かった。
タホは、日本の軽井沢のような場所で多くの家々が悠然と並ぶ。道を覆い被すような緑が、僕らの体の隅々を癒す。
30分程車を走らせ、僕らは家に到着した。

湖の真ん前だった。

目の前に、広大なタホ湖を贅沢なまでに眺める事ができる家。
湖の音が心地いい。

「私は、水が好き。止めどなく動き続ける湖はいつまでも見ていられる」
湘南に住んでいる友人は、遠くを眺めながら呟いた。

僕らは、シャワーを借り、1週間分の汚れを落とした。
これで、一旦は砂漠の体とはお別れ。

家で、じゅんこさんがおにぎりを作って下さった。
のりと鰹節の匂いが美味しい。

湖を眺め、愛犬と戯れながら、僕らは、ワイングラスを傾けた。
4人で円卓を囲んでいる様子が何だか家族の様で、不思議な気分になった。

日が暮れ、僕らはメキシコ料理屋さんへと向かった。
なんでも、ここの店員さんの結婚式に行った事がある、じゅんこさんとマイケルさん。
行きつけのお店らしく、とてもアットホームな雰囲気に包まれながら、僕らは食事した。

「お2人で海外には行かれるんですか」
「よく行くわ。この人の仕事の関係であちこちと。」
「最初に行ったのは、イスタンブールだったんですけど、
イスタンブールにある、アナソフィア(※有名な博物館)に2人で並んでいた際、
目の前の人がターキーのお金が無くて、入れず困っていたの。
その時、マイケルがすっと彼にお金を渡し、
”これで入りなさい”と言ったんです。
その行動を見て、私はこの人は信用できると思ったの」

じゅんこさんは嬉しそうに、当時のエピソードを語ってくれた。
国境を超え一緒にいる2人を、マルガリータを飲みながら僕は羨ましく眺めた。

家に戻り、僕らはお互い日記を書き、ベットに入った。

「今日が最後のアメリカ。もう2,3年アメリカにいたい気持ちと日本に帰りたい気持ちと
半分半分」
と友人が呟く。

僕らは、丁度バトンタッチをするかのようだった。

僕は、旅の最初をバーニングマンに。
友人は、留学と旅の最後をバーニングマンに。

これから始まる人と、これで終わりの人。

世の中は、多くの終わりと多くの始まりを持っている。

外の湖の静かな波の音を聞きながら、僕らは眠りに落ちた。


バーニングマンという理想郷

バーニングマン

1週間だけの理想郷がアメリカのネバタ州の砂漠で作り上げられる。
6万人もの人が集まって作り上げられる理想郷の祭典の名前はバーニングマン。
世界最大奇祭等言われていますが、去年に引き続き、2回目の参加をしてきました。
そのカオスの一滴を文字に表現できれば。

■バーニングマン概要■
1986年から開催され続けている音楽とアートの祭典で期間は1週間
会場は砂漠;ブラックロックシティと名付けられているが、普段はただの砂漠
規模は参加者6万人超(2013年)※初年度の参加人数は100人程度で、毎年増加傾向
お金が使えず、基本的に自分らで食料、飲料、衣類、住居の用意をする必要がある■

僕は、旅をこのバーニングマンから始めた。
去年参加したこの祭典は、僕の心に深く印象に残っており、
これから1年間、海外に行くので、このバーニングマンの印象を今後の基準にしたかった。
そして、初日が誕生日という縁もあり、アメリカに留学中の友人と2人で参加した。

僕らは、バーニングマンの会場から一番近い都市、リノで落ち合った。
リノという街は、アメリカ有数のカジノタウンで夜になるとネオンが光り夜を照らすが、
街自体はとても静かで居心地のいい場所である。

一年振りに再会し、部屋で顔面ケーキ投げで誕生日を祝ってもらった。
フロントに
「ごめんなさい。部屋で間違ってケーキをこぼしてしまったから、掃除してくれない?」
と言ったものの、一向に掃除の方は来ず、チョコレートの匂いに包まれ、僕らは就寝した。

翌日、チェックアウトを済ませ、大量の買い出しを終わった頃には、夜6時を過ぎていた。
「今日初日だから、会場入るの混んでそうだね。」
「そだね。まあ、ここから2,3時間くらいで着くから、入れるの22時頃かもね。はははー」

なんて会話していたが、実際入れたのは、深夜2時だった。

こんなにも時間がかかったのには、理由がある。
まず、恩田は運転が致命的にできなかった。日本でもペーパーなのに、
一気に国際デビューした。最初に入ったハイウェイで、なぜかギア1に設定をしており、
時速100キロの所を30キロ程度で走っていたのだから、今考えると鳥肌がたつ。
助手席にいた友人は、
「死にたくない」
と一言だけつぶやき、川辺の柳のようにうな垂れていた。

上空に浮かぶ月を見ながら、会場に足を踏み入れた。
深夜の砂漠にも関わらず、光り輝く色とりどりのネオン。
デコレーションの枠を超えた、改造車:通称アートカーが会場を縦横無尽に走り回る。
四方八方から聞こえる爆音の音楽。
そして、会場の中心に見える緑色に輝く物体、「マン」が目に入る。高さは、台も合わせて大体30メートルくらい。

「あぁ。またこの会場に来たんだな」
と感慨深く、見つめる僕を脇目に友人は、
「すごいシュール」
と一言。

確かに。壮大な大人の遊園地。

夜、僕らは、少しだけ街を徘徊した。
真ん中に聳え立つマンを眺め、奥にあるテンプルへと向かう。※マンとテンプルはバーニングマンの2大シンボル。
砂漠の中に光輝くネオンと多くのジャンルの音楽が飛び交う中、このテンプルという場所だけは、異空間である。
聖域。サンクチュアリ。今年は、ピラミッドのような形をしている。

この中の空間では、みなテンプルの中心にある石像に向かい祈りを捧げている。
教会の中のような印象だ。
僕は、この空間が大好きになり、1週間ほぼ毎日通った。

このテンプル内で、アジア系の集団を発見し、声をかけた。
海外に住んでいる日本人だった。少し話した後、彼らのテントに連れて行ってもらった。
シーシャと言われる水タバコをやるテントのようだ。
そして、超エリート集団だった。
名立たる外資戦略コンサルファームのチームキャンプに僕らは、朝までお邪魔し、
日の出を眺め僕らは帰路に着いた。

翌朝、僕らはテントを張る場所を探した。
そもそも、僕らは2人だったので、どこかのテントに入れて貰った方が楽しい!という事で。
午前中、いくつか当たってみたが、良い反応が無かった。
「ボスがいないから分からない」
そっか。そうだよね。いくら、バーニングマンといえども、なんでもありって訳ではないですよね。
炎天下の砂漠で歩き回り、疲れる2人。

近くに、芸者ハウスという謎のテントを見つけ入る。
中には、クーラーがかかっていて、最高。と思ったら、声かけられる。
目の前には、去年、ここバーニングマンで会ったマイコさん。6万人の中から結構奇跡に近い再会だったと思う。
この芸者ハウスの近くのたこ焼きテントに住居を構えているというので、僕ら2人は、一緒に泊めてもらう事になった。

12人程度のキャンプで3人の日本人を含むたこ焼きテント。
僕らは、たこ焼きの一味になった。
ただ、このキャンプ、たこは持っていないと言う。
・・なんで?

午後、街に繰り出した。
このバーニングマンの世界ではお金が使われていない。
全て、無償のgiveで成り立っている。
飲み物を出していたり、食べものを出していたりするテントもあるが、全てタダで貰える。
勿論、そのgiveは回り回って返ってくるのだと思うが、僕は、取り合えずありったけのgiveを受け続けた。
途中、スペイン在住の料理修行中のジュンさんと出会い、色々と連れていってもらう。
じゅんさんは、めちゃくちゃ、いかした頭をしているナイスガイだった。

渋味と書いているお店に入る。
店員の人は、
「ジャパン知ってるよー。東京、大阪、新潟行った事あるよー」
新潟出身の僕は、初めて新潟知ってる人と会い興奮。my friendとか言って、カクテルくれた。
カクテルは全く何が入っているか不明だった。そして、全く渋くはない。
そもそも、渋いカクテルなんて聞いた事ない。
外人は、渋いという意味を知っているのだろうか。

次に、マルガリータテントに入りお酒をもらおう。
お店の店員さん、チェンソーを持ち出した。
大きな入れ物に、マルガリータの割りものを入れ、チェンソーの上に置いた。
次の瞬間、スイッチなる紐を引く。
大きな音とともに、飲み物が混ざっていく。
どうやら、チェンソーの動力を使って、カクテルを混ぜているようである。
出来あがった後には、
「へい、みんな。ここは、どこだ?」
「マルガリータ!!」
とか言って一同大興奮。
時刻は午後2,3時。昼間だろうと全く関係ない。

店を出た後もじゅんさんが
「マルガリータ、タイーム」
とか大声で叫んで、周りにいる外人も盛り上がる。中々ファンキーだぜ。

夜はしっぽりたこ焼きテントのみんなと祝杯。

マイコさん
「もう、テントメイトなんだから、好きなもの何でも食べて。飲んで。」

保冷剤を持って来なかった僕らは、冷えたビールをこの世の宝のよう眺めながら頂いた。
砂漠で飲むビールは本当に最高。

「いや、ほんとここ最近バーニングマンの準備で大変だったわ」
とマイコさん。

そう。多分、アメリア在住のバーニングマンに参加する人達の準備は、
桁違いに凄い。そして、もの凄いお金をかけている。
参加する前は、ヒッピーの人達が沢山いて、壷に入ったお酒をみんなで
分かち合って飲むみたいなイメージをしていたが、大間違いだ。
実は、かなりの金持ち層が参加している。

僕らが泊まったたこ焼きテントは、基本的にマイコさん夫妻の友達。
マイコさんフレンドだったり、マイコさんの夫ボブさんの大学の友達だったり。
そこに僕ら2人が御邪魔している形。合計14人くらい。

他のコミュニティも結構大きい所が多く、
先ほどのじゅんさんの所は、80人くらいのテントらしい。
20人くらい、30人くらいでのテントというのが多いように感じた。
コミュニティの主が2、3人いて、その友達を誘ってやっているようだ。
なので、当日初めましてなんていう事もあるとの事。
もはや、最終日まであいつ誰だっけ?みたいな事もあるんだとか。
現地に住んでいる人のキャンプは大きく、海外組だけでキャンプを組んでいる所は小さい。

ただ、一方で夫婦で来ている人たちもかなり見かけた。
それも割と年配の方で。

バーニングマンの過ごし方は、かなり別れる。
夜の音楽を楽しむ人達。
昼間にアートを見る人達。
夫婦でまるでキャンプをしているような人達。

なるほどな。

翌日、たこ焼きテントのアイデンティティである、たこ焼きをした。
たこは違うテントのアメリカ在住のしょー君が持って来てくれるとの事。
しょーくんいなかったら、たこ焼きにならない。頼むぜ、しょー君。

夕方、我々は準備を開始した。
テントメイトの鎌倉からやってきた千春が、鉄板を日本から持参。
ちなみに、この子バーニングマン_マラソンとか言って50kmのマラソンを昨日走破してるんです。
色んな意味で鉄人。
「いやー、フルマラソンとか走った事無いけど、走ってみたわー。そしたら、6時間もかかっちゃった。ははは。」
君の意思の強さに脱帽。笑顔も素敵。
ちなみに、衣装だけでスーツケースが一杯になるほど、準備万端。
一方、僕はハッピのみ。気合いが違うぜ。

たこ焼きテントは、事前の告知の効果からか、開始前から
「今日、たこ焼きやるんだって?」
という外人がちらほら。海外でもたこ焼きって知られているんだという事に少し驚き。

焼いている途中で、一人の60歳をゆうに超えているおば様が興味深そうに
見てくるので、話しかけてみた。

「おばちゃん、今回のバーニングマン何回目なん?」
「私なんて、バーニングマン歴14年よ。この祭典に育てて来てもらったようなもんよ。ふぉっふぉっふぉ。」
とか言っていた。
60歳超えて、この祭りで何してんだ?

その後、旦那さんが来て、
「白いワンピースを来た俺の妻がどこいったか知ってるか?」
と聞かれたが、既に奥さん違うキャンプへと。
これだけの勢いがあるから、来るのだろう。

たこ焼きができあがり、配る際に
「このオクトパスボール、非常に熱いから気をつけてね」
という忠告を誰も耳を傾けてくれず、全力で口の中にいれる一同。
その後、決まって涙目になりながら、口をすぼませ、ハフハフしている皆が可愛かった。

途中、たこのしょーくんが、たこのコスチュームを纏い、無事到着。僕らのたこ焼きテントは大成功に終わった。
人は、食べ物や人が群がっている所に集まるらしい。

勿論、このたこ焼きもgive精神にもとづき、お金の授受等は一切ないのだが、
終わった後の気分の高揚感は何だったのだろう。
別にバイトという感覚でも無く、自分が好きに焼いて、あげる。
自分もハッピー、相手もハッピー。この瞬間だけを切り取れば、最高だったのではないだろうか。
そんな幸せな気持ちを抱いて、寝た。

砂漠の日差しは鋭く、夜は寒い。
僕らは、2人用のテントを張り、中に寝袋をしいて寝ていたのだが、
朝8時頃、容赦無く日差しがテントを襲う。
友人は、いつも8時前には起床し、日記をつけていた。
毎日つけているのだから、なんとも真面目である。この砂漠でそのルーティンを僕は守れない。

夕方、ジャパドックなるものをご馳走してくれるテントがあるので、
向かう一同。
テントメイトほぼ全員で御邪魔した。

こちらのテントは、
マイケルとじゅんこさんのお二人のキャンプ。
キャンピングカーで来ており、なんとも快適そうな生活である。
なんと、キャンピングカーは購入したのだとか。

「はいはい、みんな何飲みたい?ビール?チェリーウォッカ?」
好きなだけビールを頂き、ジャパドックと言われる、ホットドックに照り焼きソースをつけたものを頂く。

「お二人だけのキャンプですよね?」
「そうそう。私が、こうやって色んな人に食べ物を振る舞うのが好きで、沢山持って来てるの。遠慮せずにね」

ありがとうございます。

そして、僕がこれから海外を1年間回る話をしたら、
「バーニングマンが終わったら、私たちの家に来なさい。」
と言われ、住所、アドレス、そして、じゅんこさんの携帯電話まで借りてしまった。
※後に記載したいが、大豪邸で僕らは度肝を抜かされる。

この世界では、どこに行っても何かが貰える。
水が無くなって歩いていると、2ガロンくらいの水をくれた人もいた。※2ガロン=約7リットル
そうすると、こちらも何かを人にするのが当然になる。
もの凄いいいスパイラルのように思う。
最高の循環のように思う。

このメッセージを伝えるために、このバーニングマンという祭典は作られたのだろうか。
この祭典の背景をものもの凄く知りたい。

最終日から2日前と最終日にこの祭典のシンボルである、
マンとテンプルを燃やす。

最後のこのイベントはみなが参加するので、開始の1時間30分前から陣取り、待機する一同。

マンは燃える前に、ファイヤーダンスがあったり、花火が打上ったりし、華やかに彩られている。
燃え方も派手で、大きな炎の中にマンは包み込まれ、時々骨格が姿を現す。
巨大な炎は場をチリチリと熱くし、僕の額は汗を流した。
みな興奮し、雄叫びを上げたりしながら場が弾け飛ぶ。

テンプルは対象的に、静かに燃える。
皆、この1週間、いや1年間を、空に燃えあがる炎に投影し、黙祷を捧げるような雰囲気で場が燃え落ちる。

2つのシンボルを失った砂漠は、もとの姿へと戻る。

怒濤のような祭典が幕を閉じた。

不思議と僕は涙が出た。理由は分からない。

終わり。

追記:

この祭典で大切な事
・コミュニティを作る事
・無償のギブを無意識でする事
・自分を表現する事※あまりできず。

このバーニングマンを通じて、人間が何を追い求めているのかが、かいま見れると思う。

※TOPの写真はたこ焼きテントメイトのアイカさんの写真。


「I’m very happy」

th_IMG_1965Michinorionda.comをご覧の皆様方

こんばんは。恩田です。

現在、こちらはアメリカのネバタ州のリノという街へ来ております。
Los angelesやSan Franciscoから近い場所にありラスベガスに継ぐ、アメリカで有名なカジノタウンです。

先ほど、やっと記事の全てを読み終えました。飛行機の中で涙して嗚咽したり、ケラケラ笑ったりしながらiphoneをいじっているので、皆、僕の事が気になるようです。こいつ、頭イっちゃってるんじゃないかって。機内に乗っている皆に自慢したいです。Michinorionda.comを見てくれと。僕は本当に本当に幸せ者です。幸せになると、どうやら人って笑うようです。

本当にありがとう。恵比寿メンバー。メッセージ書いてくれた方々。ありがとう。最高すぎるよ。もう寂しいよ。帰りたい。会いたい。って、恋人かってね。なんだか、永遠の別れのように出てきたけど、1年後に会えるからね。
でも、1年という時間が今は、本当に永久のように感じて、終わりの来ない砂時計を眺めているようです。

感謝を伝える方法が中々分からないですが、どうすればいいと?
このブログを更新する事で宜しいと?
ブログを少なくとも週1では更新をしていこうと思います。どんな文章を書こうか現在まだ模索しておりますが、少しでもクスっとしてもらえるもの。そして、少しでもためになる事を学んで書いていけたらなと思います。

これから、どんな事があるか分からないのだけれども、寂しくなったら、みんなのメッセージを見返します。宝物の変わりにします。

この1年は、自分でも期待している1年です。確実に今までの人生とは違った、新しい道を開拓する事になりそうです。
今丁度26歳の誕生日を迎えています。Happy birthday to me. 心の赴くままに、心に嘘をつかずに生きていきたいと思います。

1年後の事なんて、全く想像できないのだけれども、帰るのが楽しみっていう事は確実に言えます。

We’ll always have Ebisu.  Thank you.

リノから愛を込めて。
Michinori Onda