最終日に涙を流した、愛すべきフィリピン留学の日記

フィリピンを出る最後に涙を流すなんて、思わなかった。台風も、地震も、あの狭い個室の授業も全て忘れない。帰りのバックパックが重くなったのは、多分気のせいでは無いと思うんだ。多分。

2013年9月末、世界一周中に、東南アジアをいくつか周り終え、フィリピンのセブ島へと向かった。とても暑い夏だった。

目的は、最近流行しているフィリピン留学というやつである。アメリカ、イギリスの留学に比べると、授業の数、特にマンツーマンクラスの授業数が多く、初心者には丁度いいと言われている。また、寮の中で規則正しい生活を送るので、継続的に勉強に取り組める。そして、値段もかなりの割安。という話を聞いて、僕も勉強してみる事にしたのだ。

大学生の頃は不真面目な学生だったので、最後にしっかりと勉強をしたのは高校生の頃だったと思う。毎朝、高校の図書館に来て自習室に閉じこもっていた事を記憶を思い出し、僕はフィリピンへと入国した。

セブの空港は思ったより小さいのだが、他の学校の迎えが沢山きており、僕も自分の学校の迎えの看板をやっと見つける。車に乗り込むと学校のマネージャーが、少し日本語を話せるみたいで、「お元気ですか。体調は、いかがですか」なんて、気さくに話しかけてくれる。それに対して、僕はつたない英語で返答する。

セブ島は、フィリピンでマニラに継ぐ2番目の都市のようで、車も多く、ビルを所々に見る事ができる。ただ、大量の排気ガス。町中にゴミがあちこちに見える。キレイなリゾート地なんてイメージをしていたので、少しがっかりしながらも、車は進んでいく。30分程して、車が細い路地に入り、大きな門の前で止まった。中から警備員が大きな門を静かに開けてくれる。なんだか大げさな門だななんて思いながら門をくぐった。

最初に目に飛び込んできたのは、宿泊する寮と小さなプール。プールの周りには、リゾート地を想定したような木々が植えられているのだが、なんだか少し不自然な印象を受けた。奥にあるオフィスまで歩き、挨拶と簡単な手続きを行う。途中、他の生徒が僕を物珍しそうな目でちらちらと見てくる。大きなバックパックを背負い、ヒゲをはやし、海パンをはいている学生なんて、多分僕だけだったんだと思う。世界一周の途中なので、少し汚らしい格好だったのかもしれない。

少し学校の紹介を簡単にしたいと思う。僕が選んだこの学校は、フィリピンの中でも有数のスパルタ校と言われている。朝5時代に起床、点呼、朝の単語テスト、AM8時からPM8時まで授業。最後にセンテンスのテストで終了。平日は外出禁止、アルコールの持ち込みは不可。通称、刑務所と呼ばれ、休日の外出を、プリズンブレイクと呼ばれている。他にも厳しい規則が沢山あるのだが、勉強する環境としては最高と思い、僕は申し込んだのだ。世界一周中なのに、なんて意識が高いのか。最初にオフィスに入ると、Biteマネージャーが竹刀を持って歩いていたので、笑った。そんな学校だ。

諸々の手続きが終わってから、僕は自分の部屋へと行った。相部屋と言われていたので、ルームメイトがどんな人なのだろうとドキドキして、部屋に入る。

しかし、まだ到着していないようだ。しんとした部屋に入り、落ち着かない僕は部屋の中をぐるぐるする。そして、窓の外を眺めるが、どうもそわそわする。一旦落ち着こうと思い、大好きなジョブズのスピーチを聞いて、ベットでほっとして座っていると、足に何かがくっついた事を感じる。急に感じる、寒気。そして、悪い予感。

日本でも幾度となく見た、細かな動きで、僕の足を移動する黒い悪魔。Cockroach。そう、ゴキブリ。見ずしても一瞬で分かった。今期最大の悲鳴を張り上げ、窓を全てあけ、1時間程の格闘が始まった。日本のそれよりも良く飛ぶからまた怖い。お隣の部屋の住民とも目が合ったが、挨拶などしている余裕もなく、追いかけた。そして、追いかられた。そんなフィリピンの洗礼を受け、汗をかきながら午後のオリエンテーションクラスが始まった。

授業は、マンツーマンクラスだった。1畳程の狭い所に、椅子が2個置かれている。扉を慎重に開けると、先生が一人座っている。こんな近い所で行なわれる授業にためらいながら、僕は先生の隣へ失礼しますなんて言いながら座った。

「ようこそ、EVへ。なんだか、汗をかいているようだけど、どうしたの?何かあったの?」
「ゴキブリと格闘してたんだ」

と答えたかったが、ゴキブリという単語が分からず早速困る。

しばらく考えて、

「黒い悪魔と戦っていたんだ」

と言うと、先生は不思議そうな顔で僕を見つめてきた。

「黒い悪魔って何?日本の何か神話かしら」

ゴキブリのものまねをして通じるのに10分程。フィリピンに来て最初に覚えた単語は、Cockroach。旅中、少しは英会話をしていたので、話せるかと思ったが、自分の実力を知る。冷や汗をかきながら、授業は進んでいく。そして、次第に先生の言っている事について行けなくなる。

「これ、もの凄く初歩的な事だと思うんだけどなあ」

なんて、笑われながら追い打ちをかけられる始末。座っている距離はこんなにも近いのに、日本海溝を這い上がるような溝がここにはある。苦い薬を飲んだ後のような気分で、あっという間に75分の一コマが過ぎる。到着日は、2コマだけだったが、自分が話せないという事を十分に自覚した。いいたい事が言えないもどかしさを感じ、部屋に戻る。改めて、英語学習の意欲が燃えた。

フィリピン留学に僕が来た、理由

このままフィリピンの話を続ける前に、英語を勉強しようと思った出来事について書きたいと思う。
1年間の世界一周を2013年にスタートした。最初の国は、アメリカ。

どうしても行きたかった、バーニングマンという理想郷から旅をスタートした。

東側に飛んだのだから、そのまま南米を下ればいいじゃないと思うのだが、僕はフィリピンまでそこから折り返した。それくらい、英語の必要性を感じたのだ。

この記事ではバーニングマンについて長くは触れないのだが、もの凄い楽しみにしていたお祭りで、わざわざ世界一周の初日に東京から太平洋を渡って行った位、期待をしていた。ただ、英語が分からなくて、完全に楽しむ事が出来なかった。勿論、英語だけが全ての理由では無いのだろうが、英語がかなりの大きな割合を占めていた。

バーニングマンを誘ってくれた友人(めちゃくちゃ可愛い)が英語を話せたので、最後まで頼ってしまった。その場で出会う新しいコミュニティに入っても、最初の自己紹介すらままならない。そして、みんなが笑っている事がなんなのか分からないから愛想笑いをする。こんな自由な空間で、圧倒的に不自由な僕の言語。カラカラに乾いている砂漠の空間で、涙が出た。

お祭りを終えた後、僕の中に残された感情は、悲しさに溢れていた。勿論、英語が出来なくても、旅は出来るのだけれども、英語が話せた方が絶対に楽しい。言葉でこうして書くことはなんて簡単なのだろうと思いながら、この文章を書いてはいるのだが、このバーニングマンを通じて僕は確信した。英語をちゃんと勉強したいって。だから、僕はアメリカの西海岸から、東南アジアのフィリピンへの戻る決意をした。

愛すべきルームメイト、NKとの生活が始まる

フィリピン到着2日目の深夜2時頃。僕の部屋の扉が空いた。ルームメイトがやってきたのだ。寝ぼけながら、「hi」なんて、言ってまた眠りについた。朝、起きると確かに隣にルームメイトがいた。大柄な男だった。

「はじめまして、お名前は?」
「ユナンギだ。」

「ここでは、英語のニックネームを貰うと思うんだけど、ニックネームは?」
「英語のニックネーム?自分は、まだ貰ってない。」

もの凄い、礼儀正しい韓国人だった。しかし、英語は殆どと言って話せないから、僕らはよく分からないジェスチャーを交えながら、会話した。彼は、英語に詰まると時々韓国語で僕に話して来て、分かるか?なんて聞いてくるのだが、勿論分からず、お互い、はにかむ。後日、彼もニックネームを貰ってきた。名を「NK」と言った。ユナンギの省略系らしいが、ニックネームがNKとは、なかなかのセンスである。

身長185程。体格はよく、日本文化を良く知っていた。何より、僕に対してもの凄い親切だった。多分、僕の方が1つ年が上だったからなのだろう。トイレに入る時もシャワーを浴びる際も、必ず僕に先を譲ってくれた。

留学生活の始まり

翌朝、僕らは聞き慣れないチャイムで起床する。5時台。日の出と同時くらいである。まだ開かぬ目をこすりながら、廊下へ並ぶ。他の部屋の生徒も出ていて、その光景は寝起きのナメクジが塩をかけられ、うな垂れているような悲壮感が漂っている。こうして、僕らの生活は始まった。

毎日、朝5時頃起きて、シャワーを浴びる。朝食→単語の勉強&テスト→授業→授業→授業→昼食→授業→授業→授業→夕食→授業→センテンスの勉強→テスト→復習&予習→就寝10pmという生活なのである。中々凄い。スパルタ校の代表校として有名なEV。
学校は9割が韓国人。他が、日本人、台湾人、ベトナム人、中国人。授業は6コマ。2コマがマンツーマンで、文法とプレゼンテーションが必須。残り2コマは、自分の選択で取れる。僕は、ディスカッションと、メディアコミュニケーションなるものを取った。

1限。最初はネイティブのクラス。サンフランシスコ出身の、ジョンのディスカッションのクラスが始まる。50歳くらいのダンディーな雰囲気漂うジョン。
「今日は初日の一コマ目。皆で自己紹介をやろう」と、もの凄い爽やかな笑顔で僕らを迎えてくれる。口癖は「Cool」。それも、親指を立てながら。

彼のクラスのテーマは、僕にとってなじみのない、「神は存在するか、ゴーストについて、死後の世界」等で中々議論しづらく、苦戦した。そもそも、英語が話せないのに、こんな難しいテーマを何故設定するのか?なんて事を思いながら、あっという間に終わる。そして、直ぐに移動して2限のメディアコミュニケーション。
ここでは、自分たち好きな新聞や、テレビの記事を選び、発表。実際に学校内で取材をしたり、自分で広告を作って発表をしたりした。

このクラスでは、韓国人生徒ジェイソンがとにかく話す。文法も発音も決してよくないのだが、何を言いたいのかは良く分かる。毎月のレベル分けテストがあるのだが、彼が先月のTOP。彼から学んだ事はすごく多くて、とにかく自分が思いついた単語を口に出すという事だった。まず、僕らは「英語を話す事」の慣れが圧倒的に足りないのだ。独り言でもいい。とにかく話す事。口に出す事。これは、ジェイソンから学んだ最初の大切な事だった。

EVに行ってから、最初に出て来た壁はは、発音だった。もの凄い簡単な単語が通じないのだ。

「どこ出身?」
「日本だよ。」

この日本「Japan」の発音を直された時は、もの凄い悲しい気分になった。なんと、母国の国名を直されるなんて。ただ、大体直される単語も分かってくる。RとL、THの発音、Nの発音、Aの発音。英語を勉強してから、長い年月が経ち、くせのようになっているので、中々直らない。文法のクラスでも、文法以上に発音を多く直された。他の韓国人にも、少し笑われながらも少しずつ気をつけるようになる。

愉快な日本人の仲間達

9割程が、韓国人の中、少しだけ日本人もいたので、少し紹介したい。歳が近く、キャラが濃い人が多かった。

40歳政治家秘書のテイラー。

テイラー(政治家秘書)は、クラブとシャンペン好き。見た目はもの凄い真面目で、とても博識で僕らは尊敬しているのだが、いつもクラブの事を考えているみたいだ。純粋に、踊る事が好きらしい。前妻は、中国人だったらしく、国際経験も豊か。テイラーから、シャンペンについてこのフィリピン留学中に色々と教えて貰った。一度、セブ最大のジュリアナで飲みすぎて、タクシーから嘔吐した時にも助けれる。

沖縄が送り込んだギャル、サリー

名はサリー。沖縄の綺麗目のギャルを卒業したCA。趣味は、酒。もの凄いフレンドリーなのだが、確実に勉強をするタイプには見えない。なぜ、このフィリピンの刑務所と言われるEV校へ来たのか、さっぱり分からない。外見によらず、真面目な人なのかも知れないと思ながら、単語テストの時間を迎えた。期待を裏切らず、彼女は出来なかった。

そして、翌日から、単語テストに来なくなった。食事中にポン酢を持ってきていて、大体の料理にかけたり、大のクラブ好きという事が分かり、クラブポン酢というあだ名を名付けた。このクラブポン酢に政治家秘書のテイラーが絡むともの凄い科学反応を生む。ある週、クラブポン酢とテイラー達でクラブに遊びに行っていて、僕は途中合流をした。既に2人とも記憶無しの泥酔状態。シャンペン、ドンペリを既に開けていた。交差点全て緑信号のアクセル全開の危険な状況。その後もミミガーと呼ばれる酒を一気のみしたりしながら、場は荒れる。酒は飲んでも飲まれてはいけない。

ブラックペーパーの罠にはまる、かな

学校が始まって、第2週目くらいだっただろうか。ふんわりとした印象のNYのカナが、ある地獄にはまる。

授業の最後、夜8時からは、センテンスのテストが行われる。事前にもらった50文を暗記し、それをテストされる。沖縄ギャルのサリーは当然の如く序盤でギブアップ。このテストで問題を起こすのは、NYのカナ。日本では化粧品の販売をしていたらしく、いつもにこやか。このフィリピンの後に、NYに行くようだ。

このセンテンスのテストで不合格になると、罰則がある。通称:ブラックペーパーと言われるものだ。白紙の紙を渡され、余白が無くなるまで文章を書き続けなくては行けない。勿論、左上から右下までびっしりと書かねば行けない。講師のジャッキーは、「私は、ジャッキー。趣味は、ブラックペーパーを集める事。宜しく」にこっと笑顔で言うクレオパトラ似の28歳。一回もらうと、全部を埋め尽くすのに3,4時間はかかると言われている。これをカナは、連日もらって毎日眠そうにしていた。

実は、この単語、センテンスのテストは多くの学生を困らせており、ルームメイトNKも日々、悶えていた。韓国人は、僕らよりも多い毎朝60単語程覚えなくてはいけないのだが、彼は英語初心者という事もあり、全てが未知の単語らしい。これを覚えるのに毎日3,4時間もかけている。そんな訳で、彼が寝るのは深夜2時頃。僕がいつも先に寝ていたのだが、その後彼は部屋の電気を消し、電気スタンドにタオルをかけて、僕に光が当たらないようにしながら、単語を呟いていた。

ある日、「foolish」と何度も連呼するので、どうしたのかと聞いたら、新しい単語がfoolishだったようで、笑った。ただ、3週間後、彼もしっかりブラックペーパーをもらっていた。彼の口癖は、「みち、僕は単語テストが嫌いだ」

韓国が好きになった

学校に慣れ始めて来た頃、僕とあくは韓国人と仲良くなろうと必死になっていた。仲良くなるには、勿論韓国語を覚えなくてはいけない。僕は、恵比寿で一緒にシェアハウスをしている、友人に連絡を取った。彼は、1年前に同じ学校に通っていて、今では韓国語でなんだか分からない事を言っている。

「おびちゃん。家でいつも使ってる韓国語を教えてくれ」
「了解です」

3つ程、使える韓国語が送られてきた。

一つ目:一目惚れしました。
二つ目:僕みたいな男ってどう?
三つ目:この世の中で、一番綺麗な星を見つけた。 君だよ。

日本で一回も使った事が無いフレーズなのだが、猛練習をするアクと僕。ルームメイトのNKに発音を直してもらったりしながら訓練を重ねる。そして、Jooと言われる、狐目をした子を呼び出した。練習の成果あってか、僕らはこの文章だけは不気味なくらに、綺麗に言えるようになっていた。当然、返答に困るJoo。他の韓国人の男もおもしろがって、囃し立てる。そして、返ってきた言葉は、「Impossible」。不可能です。

この後数日間、アクは面白がって言い続けていたら、他の韓国人の男に、「アク。残念だけど、Jooは諦めよう。彼女は、君に対して疲れている。君を嫌いっていう訳ではないんだ。もう、憎んでいるんだ。だから、もう諦めよう。それが、彼女のためだ」と真面目に言われる。それから、数日落ち込むアク。中々、国際恋愛なんて出来ない。

韓国人と接している中で、日本の文化、特に音楽がかなり韓国で流行っている事を知った。安室、浜崎の認知度は勿論高く、スポーツ選手、漫画、ドラマ、女優も、もの凄い知っている。逆に、韓国の何を知っているかと言われると少女時代とKRARくらいのものだったので、もう少し韓国について知っていたら、盛り上がったのかもしれない。中でも、日本の歴史専攻をしている学生がいた。名前は、MK。※僕のルームメイトはNK。

彼は、プロ野球の王貞治、長嶋、野茂、伊良部を始め、昔の世代の選手を知っており、「現在は、イチロー、松井が有名だと思うけど、実際に選手としては、誰が一番なんだ?」なんて聞かれたりした。さらに、僕らに会うと急に「天皇万歳」なんて言ってきたり、歌を歌っていると、「君が代、御願いします」なんて言ってきたり、誰かが裏切りをすると「明智」なんて、中々聞かない単語を知っていたので、僕らは笑った。

ただ、嫌いな国調査ランキングでは、日本は大体1位だという事も知った。文化が浸透しているのに、嫌い。強制的に日本が韓国に文化を浸透させたという事なのだろうか。少し複雑な気持ちになりながら、彼らのプレゼンのスピーチを聞いていた。ただ、週末は一緒に日本食を彼らから誘われたり、一緒にサムギョプサルを食べに行ったりした。同じアジアンで、国も近いからなのか、笑いの壷も似ていたし、学生時代は、受験勉強に負われていたり、親は子供を大企業に行かせたい等、日本でも聞くような現象を聞いた。似ているけれど、違う国籍。

ある休日、フィリピンに大地震が起こった。休日の朝8時頃。朝ご飯を食べようしていた時、部屋が揺れた。最初は震度2くらい。その直度、震度5程の強い揺れが襲ってきた。休日だったので、部屋でのんきに寝ていたのだが、慌てて上下を着て外に出た。僕らの建物が揺れ、白い煙を上げながら、天井が落ち、ヒビが入っていくのを目の当たりにした。プールも波を打ち、他の生徒も必死に出てくる。宿泊施設が全壊する。本当にそう思った。韓国人の女の子は固まって泣いていた。けが人が出なかったのが、奇跡に近かったと思う。

暫くして、NKも部屋から出て来た。僕をみるなり「なんで僕を連れていってくれなかったんだ。失望したよ」と言われる。確かに、韓国では地震は無いと聞いている。地震の際に、どのように対処をすればいいのか知らないのだと思う。僕も必死すぎて、彼を部屋に置き去りにしてしまったのだ。素直に謝った。その夜、大きな余震が来るかもしれないという予報のため、多くの学生は、外にマットレスを持っていき、集団疎開のような形で寝ていた。海外では、日本は地震大国のイメージがあるようで、こんな時日本人はどのように対応するんだ?と多く聞かれた。

そして、フィリピンの地震は治まらなかった。執拗に続く余震。揺れる度に、怖がるフィリピンの先生と韓国人。ここ何十年かの中でも最大の揺れだったらしく、怖がるのも無理はない。韓国に帰った学生も何人かいた。僕のマンツーマンの先生は、震源地が故郷だったようで、ここ数日家族と連絡が取れないという。普段はもの凄くテンションが高い先生なのだが、この時ばかりは、睡眠不足で目の下にクマができており、精神の状態が普通でない事を僕に謝っていた。

僕は、話しかける言葉が見つからなかった。むやみに大丈夫なんて言っても気休めにならないし、さらに英語で話さなくていけないのだから、より困難を極めた。なので、僕は歌った。We are the world とAmazing graceを。こんな時に歌はいい。

1ヶ月が経ち、クラスが変わった。僕は、テイラーと一緒のクラスになる。ここから、プレゼンのクラスでは、プレゼンの後にディスカッションをする形に変わった。ある日の話題は、国際結婚。プレゼンターはテイラー。国際結婚の善し悪しについて、語った。デメリット:お互い決して完全に分かり合える事が無いという事。前妻が中国人だった、テイラーの意見は経験談からきているので、先生も含め僕らは頷く事しか出来なかった。宗教も違う、思想も違うし、生まれてきた環境が違う。根底で、理解できない部分があったんだ。テイラーはそう語った。

先生がすかさず「それって、国際結婚に限った事じゃなくて?」
テイラー「ごもっとも」
先生「その問題ってどうやったら解決できるのかしら」
テイラー「この事実を無視する事です。ただ、出来なかったので、離婚したんだけどね。はっはっは。」
なんて、陽気に語るテイラー。結婚の秘訣を聞こうかと思ったけど、止めた。

テイラーの陰謀

そして、翌週。テイラーが学校を去る日が近づいて来た。いつも何かと話題のテイラーがいなくなるのだから、僕らはざわめいていた。事件は、週末金曜日に起こった。金曜日の夜、テイラー主催のフェアウェルパーティ(バイバイパーティ)が行われた。韓国人も含め、20人程で集まり、飲んだ後、いつものようにクラブで楽しむ。時刻は23:20。僕らの門限は、24時。破ると、罰則を貰う。ペナルティー5。これは、翌週末に外に出れない事を意味する。この刑務所のような場所で週末も出れないとなると、気が狂うのは間違いなかった。他のメンバーは皆寮に戻る中、僕らは近くのラーメン屋に到着。どうしても締めのラーメンが食べたかった。23:40。店員に急いでくれなんていいながら、時刻は50分をまわったの確認したのが最後。僕は必死になって食べ、寮に走って戻った。テイラーとあくはまだ、ゆっくりとラーメンをすすっていた。僕は、大きな門を開け、息を切らしながら、学生証を探すが無い。暗闇から、マネージャのピーターが現れる。

「今何時だと思ってる?」
「24時かな」
「5分遅刻だ。なぜ、遅刻した?」
「ラーメンを食べていて」
「ラーメン?遅刻したらどうなるか分かっているんだろう」
「はい」
「月曜日にオフィスに来なさい」

こうして、僕は、減点5を貰ってしまった。テイラーとあくは、後にゆっくりと現れた。

「1分遅刻しても1時間遅刻しても減点は5点でしょ?そしたら、朝まで踊ってた方が良かったかなあ」

なんて言いながら、2人も減点5を貰う。ただ、テイラーに関して、この週末で学校を出る予定なので、減点を貰っても何も問題は無い訳だ。軽やかに笑うテイラーと落ち込む僕。そして、これをテイラーの陰謀(2013@セブ島)と僕らは名付けた。そして、翌日テイラーは静かに学校を去った。

テイラーが去って、日々が平凡に流れ出した頃、ルームメイトNKが急に恋の話をしだすようになった。僕が部屋で久保田利伸のLA・LA・LA・LOVE SONGをかけていたら、その曲非常に良いね。と褒めてくる。データで持っていたので、あげたら、シャワーを浴びながらさびの歌声が聞こえる。授業の帰りに偶然、NKと女の子が手と繋いでいるのを発見した。その夜、NKは僕にいった。
「みち。僕はどうやら、ある女の子に好意を抱いているようだ。でも、恋では無いんだ。どうすればいいと思う。」
といいながら、急に雄叫びをあげ、ベットをたたき出す。半分笑いながら。これが、恋の初期症状だったのだろう。NKは、何か困った事があるとベットを叩く。単語テストでうまくいかなかった時もその行為を行う。
「でも、僕はこの後カナダに留学が決まっているし、あの子は韓国に帰る。悲しくなる。だから、恋には落ちない。決して、fall in loveしない」
そんな事を言っていたのに、数日後彼らは付き合いだした。この学校では、やたら恋愛関係を結ぶ方々が多い。勉強をしに来ているのか、恋愛をしに来ているのか分かったものではない。半分強がりで言っている。

愛すべきNKがお腹をこわす

とある日曜日、NKの様子がおかしい。お腹を抑えながら、悶えている。僕がシャワーを浴びていると、「みち、緊急事態だ」なんて言うので、シャンプーを頭につけたまま、バスルームから出た。どうやNKは、お腹を壊したようだ。僕は、日本から持参した、正露丸を彼にあげた。

「これ、もの凄いクサいから気をつけてね」
「日本の薬なら信用する」

なんて言いながら、彼は鼻をつまんで飲んだ。口にいれた瞬間、あの強烈な匂いが彼を覆う。今まで聞いた事の無いような発狂のしかたで、彼は崩れ落ち、ベットにダイブしていた。なぜか、その姿を見て笑ってしまう、僕。翌週から、治っていたようなので、結果オーライと言った所か。ただ、正露丸の匂いは、強烈なので、あげる際には、細心の注意が必要。

そして、フィリピンとのお別れ

このように楽しい、フィリピンの生活にも最後の週がやってきた。多くの別れがあった。勿論、NKとの別れもあった。NKとの最終日、僕らは、学校生活について語り、日本、韓国の事について、そして、僕らの将来について語った。そして、彼から彼のメッセージ入りの手帳を貰った。僕も、彼に手紙と僕らが好きなスティーブ・ジョブズの名言の抜粋を彼に渡した。アクもNKともの凄い仲が良かったため、彼が校舎からでる直前、アクは泣いていた。この週末、近くにある日本の焼き鳥屋さんでささやかなパーティを行いながら、2ヶ月を振り返った。この滞在で、先生の言っている事は理解できるようになった。話す事は、年老いた亀があくびする程遅いのだが、少しは話せるようになった。ただ、CNN等を聞くとまだ何を言っているのかは分からない。そんなレベル。

貴重でもの凄く、充実した日々を過ごす事が出来た。単語、センテンス、文法もプレゼンの授業も実りがあった。その他、何よりもフィリピンのセブという場所にたった2ヶ月いただけなのだが、もの凄い多くの笑顔を見た。売店のミッチェルも、食堂のおばちゃん達も、警備員の人達も陽気で明るかった。先生も廊下で会う度に僕の名前を呼んでくれた。近くのシェルの店員さんも僕らが週末に行くと、久しぶりなんて言ってくれた。居酒屋の店員さんも僕らに優しかった。最終日、起きるともうNKも去っていて、僕一人。授業へ向かう途中、この居心地のいい空間が明日から無くなる事を考えると、寂しかった。

ただ、僕は次の場所に行かなくては行けない。最後のクラス、一番大好きなマンツーマンの先生Angelieのクラスが終わり、「学校生活はどうだった?」と聞かれた際に、今までの思い出が溢れ返り、狭い個室で泣いてしまった。「涙じゃない。汗なんだ」というのが精一杯だった。街は確かに少し汚い場所もある。ストリートチルドレンもいる。ただ、いつも笑顔のフィリピンの人達の印象は、もの凄い強く、決して忘れない。彼らのアイデンティティはホスピタリティと言われている。ありがとう、フィリピン。

机の上にメモを残して、僕は出た。


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