恥ずかしさを、だれかと分かちあって

自分の中には、なんだか恥ずかしいけど好きなことってあると思う。誰かに言いたいんだけれど、なんとなく恥ずかしいもの。僕はそっと数えてみてもいくつかある。

でも、誰かにふと話してみるのも案外いい。

「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」

なんていうことわざがあるが、これになんとなく似ている気がする。そして、分かってくれる人がいることは、なんと嬉しいことか。きっと誰かは分かってくれる。きっと誰かは。

1人で楽しむよりも、誰かと楽しんだ方がそれはいいのだ。

※※※※

高校のころ、数学と物理がとても好きだった。

勉強をすることはあまり嫌いではなかったのだが、この2つの教科は特に大好きで、数学の問題1つだけを1日中考えていても、別に苦にはならなかった。

「数学はエレガントに解くものだ」

この大好きなフレーズは、ある予備校の森先生からの受け入りなのだが、彼の授業を受けることに、当時の僕はこれ以上ないほどに幸せを感じ、いつも興奮していた。

そして、受験が終わり大学に入ると、なぜだか数学と物理への熱意はすっと冷めてしまった。それは僕が単純に「受験勉強」というものだけが大好きで、それ以上の才能は無かったのかもしれない。

しばらくつまらない時間だけがとーん、とーんと進んでいったのだが、僕はいつのまにか「小説」にはまっていた。ほんとうはこんな原体験があって小説にはまった、なんていうかっこいいエピソードを挟んでみたかったのだが、なにか大きなきっかけがあった訳ではない。

ただ最初に小説を読んでいるとき、葛藤があったのは覚えている。この文章を読むことで、将来なんの役にたつのだろう、と。

外資だ、起業だ、プログラミングだなんていう人が周りに多くて、みんな本と言えばマーケティングとかMBAや自己啓発なんていう難しそうな本を読んでいる人ばかりだった。

なんだかんだロジカル、というもので将来を考えると、どうしても小説を読むということは、選択肢に入らなそうだったのだが、みんながプログラミングの勉強をしている傍ら、僕は小説を持って旅に出た。



小説の物語というもの以上に、僕は文字の美しさに心を奪われた。それは、リズムの美しさだったり、雰囲気だったり。そして、美しい文章を読んでは、音読して真似て書くようになった。

でも、大学に戻って「ねえ、小説とかポエム好き?」なんて聞いてもみんな「え?ポエム?」なんて少し笑いながら僕をみた。

理工学部にいたから、みんなからしたらプログラミングをどうエレガントに書くかとういうことが大切なのに、今日は月がきれいだねなんて言う僕は浮いていたのだと思う。

理解されない、というのは悲しいものでいつしか詩的/ポエミーな文章が好きなのだということを僕はあまり言わなくなった。たぶん、恥ずかしさのようなものを感じていたのだろう。

そして、しばらく時がたつ。

旅に出て、自分を知らぬ人と会っていると、自分というものを全てさらけ出すことになんの抵抗もなくなった。

全てなんて理解されなくてもいい。少しだけでも共感があればそれは嬉しい。いつの頃からか、詩的な文章が好きだよ、という人に少しずつめぐりあえるようになった。

共感をしてくれる人は、もしかしたら少ないのかもしれない。でも、少しはいるのだと思う。そして、その小さな波紋は、気づかぬうちにゆっくりゆっくりと広がっていく。


「ねえ、なんとなく泣きたい時、何をしたらいい?」

気づいたら、僕はこんな文章をメッセンジャーに打ちこんでいた。

誰が分かってくれるかなんて、もちろん分からないのだけれども。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です